七八年
前のことです。
加賀でしたか
能登でしたか、なんでも北国の方の
同人雑誌でした。今では、その雑誌の名も覚えて居ませんが、
平家物語に主題を取つて書いた小説の
載つてゐるのを見たことがあります。その作者は、おそらく青年だつたらうと思ひます。
その小説は、三回に分れて居りました。
一は、平家物語の作者が、
大原御幸のところへ行つて、少しも筆が進まなくなつて、困り果てて居るところで、そのうち、突然、インスピレエシヨンを感じて、――
甍破れては
霧不断の
香を
焚き、
枢落ちては月
常住の
灯を
挑ぐ――と、云ふところを書くところが、書いてありました。
それから二は、平家物語の
註釈者のことで、この註釈者が、今引用した――
甍破れては……のところへ来て、その語句の
出所などを調べたり考へたりするけれども、どうしても
解らないので、
俺などはまだ学問が足りないのだ、平家物語を註釈する程に学問が出来て居ないのだと言つて、
慨歎して筆を
擱くところが書いてありました。
三は現代で、中学校の国語の先生が、生徒に
大原御幸の講義をしてゐるところで、先生が、この――
霧不断の
香を
焚き……と云ふやうな語句は、昔からその出所も意味も解らないものとされて居ると云ふと、席の隅の方に居た生徒が「そこが天才の偉いところだ」と、
独言のやうに
呟くところが書いてありました。
今はその青年の名も覚えて居りませんが、その作品が非常によかつたので、今でもそのテエマは覚えてゐるのですが、その青年の事は、折々今でも思ひ出します。才を
抱いて、
埋もれてゆく人は、
外にも
沢山ある事と思ひます。
(大正十五年三月)
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