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『論語』の子罕篇-11
日期:2014-03-22 10:49  点击:588
[白文]11.顔淵喟然歎曰、仰之弥高、鑽之弥堅、瞻之在前、忽焉在後、夫子循循然善誘人、博我以文、約我以礼、欲罷不能、既竭吾才、如有所立卓爾、雖欲従之、末由也已。
 
[書き下し文]顔淵、喟然(きぜん)として歎じて(たんじて)曰く、これを仰げば弥(いよいよ)高く、これを鑽れば(きれば)弥堅く、これを瞻る(みる)に前に在れば、忽焉(こつえん)として後(のち)に在り。夫子、循循然(じゅんじゅんぜん)として善く人を誘う。我を博むるに文を以てし、我を約するに礼を以てす。罷まん(やまん)と欲すれども能わず(あたわず)。既に吾が才を竭くす(つくす)。立つところありて卓爾(たくじ)たるが如し。これに従わんと欲すと雖も由る(よる)末き(なき)のみ。
 
[口語訳]顔淵がため息をついて言った。『孔先生の徳性は、仰げば仰ぐほどに高く、切り込もうとすればするほどに堅いように思われる。前にいるかと思えば、いつの間にか後ろに立っておられる。先生は順序よく人を導いてくださる。私に書籍を読ませて見聞を広めさせ、礼を実践しながら知識を集約してくださったのだ。私は何度も学問をやめてしまおうと思ったが、結局、やめることができなかった。自分の才能は枯渇しきったようにも感じるが、先生は遥かな高みで毅然としてそびえ立っておられる。先生に従ってついていきたいと思うのだが、どうすれば良いのか分からないのだ。』 
 
[解説]学問第一と孔子から賞賛されていた顔淵が、孔子の教育方法の素晴らしさと孔子の仁徳や人間性の偉大さについて述べた章であり、顔淵は孔子亡き後にどのようにして師の道を駆け上がっていけば良いのか懊悩している。
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