私が死ねば、幼い誠一と茅乃(かやの)はどなたかの手に引き取られるだろう。そのどなたかにあえて礼を失することを言い残しておく――と、父親は書いた。長崎の原爆で妻を失い、自身も死の床にいた永井隆博士である。
父亲写着:我若死了的话,年幼的诚一和茅乃应该会被谁领去抚养吧。我硬着头皮先向那人留下失礼的话。那位父亲就是在长崎原子弹爆炸中失去了妻子,自身也即将离去的永井隆博士。
「何人(なんびと)といえどもこの子の前に、お父さん、お母さんと称(とな)えて立ちあらわれることを許さぬ!」(「この子を残して」)。母と呼ばれるべきは亡き妻のみ、父と呼ばれるべきはこの世で自分ひとりだと。
“无论对方是谁都不允许在这个孩子的面前自称是爸爸,妈妈”(《留下这个孩子》)。也就是说能被称为妈妈的只有自己的亡妻,而应该被称为父亲的则只有自己而已。
迫り来る死に、「せめて、この子がモンペつりのボタンをひとりではめられるようになるまで…」生きていたいとも書いている。この子、筒井茅乃さんが66歳で亡くなった。
对于即将到来的死亡,他写着希望能够继续活着“至少活到看见这个孩子能自己系上吊带裤子的纽扣为止……”。这个孩子——筒井茅乃66岁时去世了。
2年ほど前、京都府八幡市のご自宅でパインジュースの話をうかがったことがある。小学1年の茅乃さんが学校の給食で出たジュースを父親の病床へ、お椀(わん)に入れて持ち帰ったときの遠い思い出である。
2年多前,我曾在京都府八幡市她家听她讲菠萝汁的故事。那是小学1年级的茅乃将学校提供的食物果汁带到父亲的病床边,将果汁倒进碗里带回去的遥远的回忆。
こぼさぬようにゆっくりと、すり足で歩いた。「途中でいたずらな子に突っつかれましてね」。家に着いたときはお椀の底にひと口が残っているだけだった。おいしそうに飲む父親の顔をおぼえている。
为了不使果汁倒出来,他慢慢地,像小偷般走路。“途中被调皮的孩子给撞了”。到家的时候碗底只留下最后一口了。还记得父亲好象喝着很美味的果汁的脸。
兄の誠一さんを7年前に亡くした。9歳のときに別れた父と、おぼろげな記憶のなかにいる母と、あの夏から62年余を経て家族がそろう天上の団欒(だんらん)である。食卓にはパインジュースもあるだろう。
7年前她失去了哥哥诚一。从那个夏天算起经过62年他终于与9岁时即离去的父亲,模糊记忆中的母亲,一家人在天上团圆了。餐桌上应该也有菠萝汁吧。