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天智天皇の決意
日期:2015-10-24 13:24  点击:310
 7世紀の朝鮮半島は、高句麗・新羅・百済の三国に分かれていました。隋の煬帝は何とか朝鮮半島を傘下に治めようと、高句麗に遠征しますが失敗、それが原因で隋は滅びてしまいました。隋を倒した唐は、まずは新羅と結託して百済に攻め入り、これを滅ぼしました。その滅亡の日には、王城があった山の断崖から3000人の官女が白馬江に身を投じたといいます。そして唐と新羅の連合軍は、さらに高句麗も滅ぼしました。
 
 これを見た、わが天智天皇は、祖国回復を求める百済の残党と行動を共にし、唐に対抗することを決意しました。日本と百済が友好関係にあったこともありますが、何より日本はずっと新羅を憎んでいたからです。かつて朝鮮半島にあった日本の領土、「内宮家(うちつみやけ)」と呼ばれていた「任那(みまな)」を新羅に奪われてしまったのでした。
 
 あの聖徳太子も新羅征討を企てたほど、歴代天皇にとって任那奪還は悲願でした。その新羅が今度は友好国の百済を、唐と組んで滅ぼしてしまったのです。天智天皇の怒りは心頭に発したのであります。それからもう一つ、いずれ新羅も唐に滅ぼされ、次は日本の番だという思いもあったでしょう。
 
 天智天皇は大規模な援軍を送り込み、朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)で唐・新羅連合軍と戦いました。結果は大惨敗。戦いの後、天智天皇は唐の侵略に恐れおののきます。そのため、都を内陸深く近江に遷し、各地に城を築きました。しかし、けっきょく唐は攻めてきませんでした。なぜでしょう。
 
 それは新羅が唐に抵抗し、がんばったからです。唐の保護国のようにはなってしまいましたが、あれほど憎かった新羅が結果的には唐の防波堤になってくれたのです。
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