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日本史いろいろ話
続けられた長岡京建設?
日期:
2015-10-24 13:28
点击:
309
天武系が断絶してしまった平城京は、天智系の皇族にとっても不運な都だと考え、新都建設にふみきります。しかし、785年、新都の造営長官だった藤原種継が暗殺されるという事件が起きました。天皇の弟の早良親王が関係しているとして捕らえられましたが、早良親王は無実を主張して断食をし護送中に憤死してしまいます。
その後、天皇の身内が相次いで亡くなり飢饉や天変地異も頻発したため、早良親王の祟りだと噂され、不安にかられた桓武天皇は和気清麻呂らの進言もあって、793年に長岡京放棄を決定、789年に再び新京を着工したとされます。
ところが、長岡京の離宮跡の建物群の建設作業が790年前後にも続いていたと推定され、早良親王の祟りを理由とするにはつじつまが合わないところがあるのです。
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