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平安貴族のトイレ
日期:2015-10-24 13:32  点击:338
 日本史にトイレが登場するのは古墳時代からだそうです。しかも水洗式が登場した可能性もあるといいます。藤原京では、通りの側溝から屋敷内に水の流れを引き込み、それでトイレを流していました。そのあと流れていく先は、もとの側溝。したがって、水が少なくなる時期はえらいことになったようです。政府は、雨の日に囚人を動員してその清掃にあたらせたといいます。
 
 ところで、平安貴族が使用していたトイレは、実は「オマル」でした。といっても、「樋筥(ひばこ)」とか「虎子(おおつぼ)」「清筥(しのはこ)」とよばれる木製の箱で、多くは漆が塗られ、なかには紫檀地に螺鈿(らでん)をちりばめたようなものもあったとか。さすが貴族ですね。
 
 貴族たちは、用を足したくなったら、「オマル」係の女官を呼びつけます。彼女らは樋洗(ひすまし)とか須麻志女官とよばれ、彼女らがオマルを持って現れると、御簾で周りを取り囲み、その中で用便をしました。終わったら樋殿(ひどの)とよばれる場所に運んで中身を捨て、オマルをきれいに洗っていました。
 
 外出のときもオマルを持った女官が従い、いつどこでも用を足すことができました。その昔は、人間がトイレに行っていたのではなく、トイレのほうが人間のところにやってきていたのです。
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