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秀頼の子どもたち
日期:2015-10-24 13:58  点击:296
 1615年の大坂の陣で、豊臣秀頼は母親の淀君とともに自刃して果てました。このとき、秀頼は徳川家康の孫娘・千姫と結婚していました。しかし、そのころの両家の事情を反映してか、二人の関係は冷えており、子供はいませんでした。
 
 しかし、秀頼には別に子供がありました。側室のお石という女性に、国松という男の子と、女の子の二人を産ませていたのです。この二人の子は、徳川家との関係が険悪になってから、大坂城へ迎え入れられました。
 
 そして、いよいよ落城となったとき、二人はかろうじて大坂城を脱出し、伏見に逃れました。国松は七歳、妹は六歳になっていました。
 
 しかし、結局は二人とも徳川方に捕えられてしまいます。国松は京都の六条河原で処刑され、妹は斬首を許される代わりに、鎌倉の東慶寺に送られました。やがて彼女は、ここで天秀法泰と称し、のちに住持になりました。東慶寺は駆け込み寺、縁切り寺として有名になりますが、それは彼女が住持の時代だったと伝えられています。
 
 彼女は三十七歳で亡くなりましたが、尼僧の身でしたから子供はなく、秀吉直系の血脈はここで絶えてしまいました。
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