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世界の指揮者43
日期:2018-12-14 22:25  点击:326
  ヨーロッパとアメリカを股《また》にかけて、ローリン・マゼールという若い指揮者が目ざましい活躍をしているという噂《うわさ》は、日本人も早くから耳にしていたし、レコードもきいていたわけだが、その彼の指揮姿に実際に接したのは、一九六三年ベルリン・ドイツ・オペラが東京にはじめてやってきた時が最初だろう。
 マゼールは一九三〇年生まれ。大変な早熟ぶりで、九歳の時、おりからニューヨークで開催された万国博を機会に、公開の席で指揮を披露したとか、十一歳の時、トスカニーニに見込まれてNBC交響楽団の指揮者としてデビューしたとか、彼の履歴にはそういった話がたくさん書きこまれている。ベルリン・ドイツ・オペラに同行来日して、東京で『トリスタン』を指揮したのも、その当時すでに病気が重くて来られなかった同歌劇場の初代音楽総監督フェレンツ・フリッチャイが万一の場合には、彼がその後任となることが既定の事実となっていた結果による。三十歳をいくつも出ないで、ヨーロッパでも最大の歌劇場の一つの音楽総監督に就任するというのは、並大抵のことではない。音楽の世界には、実は、そういった《神童物語》的なものは、食傷するほどたくさんあるのだし、現代はもう、《出世物語》に対しては、かつてのような熱狂を示さない時代ではあるけれども、それでもやっぱり、こういう話は、少なくとも、それを経験する当人にとっては、重大な影響をおよぼさずにはおかないことだろう。
 音楽家というものが、どだい、早くから世の中に出ること自体には、何も不思議はない。ことに演奏家の場合、自分の肉体がすなわち楽器である声楽家を除けば、楽器をあやつる技術そのものは、少なくとも根本的には、十代の後半から二十代の前半にすでに出来上がってしまっているのが当然だろうから。
 しかし、それだけのことで、若くて人気ものとなり、世界中の都市をいそがしくかけ廻って多くの国々の多くの人びとに接し、そこで自分の音楽を提供するというのは、純粋に人間的に考えてみても、そう単純な話ではない。
 なかでも、指揮者になって、そうでなくとも気難しいところのある演奏会用交響楽団の一〇〇人を越す楽員たちとか、そのうえにすぐ興奮しやすい歌手を大ぜい相手にしなければならないオペラで指揮するとかいうことになると、問題はまた一段と複雑になる。そういう中で、簡単にいって、困難にぶつかっても、ますます強気になって自分の思うところを存分に発揮しようと向かってゆくタイプと、そうでないタイプとが、想像できよう。ズービン・メータとか小沢征爾といった人びとは、その前者の例かもしれない。いずれ指揮をするほどの人間に、人前に出るのに気おくれを覚えるような弱気な人間がいるわけはないのだが、マゼールの場合などは、弱気とか強気とかで分類しては少し具合の悪い、もう少し屈折した事情がそこにあるように、私などには、感じられるのである。
 私は、マゼールと特に個人的な交友があるわけではないが、日本に彼が来たおり、いっしょに食事をしたり、ベルリンでは彼の家に招かれて歓談したりしたといった程度のつきあいはある。そういう時、私がまず感ぜずにいられなかったことは、マゼールという人が、これだけのキャリアをもちながら——彼は現在ベルリン・ドイツ・オペラの音楽総監督と同時にベルリンの放送交響楽団の常任指揮者、音楽監督も兼任している——、まるで世馴れない、人見知りをする、一介の白面の青年にすぎないようなところのある点である。彼は、来客に手をさしのべて握手する時でも、どちらだったかの肩をおとし、頭をまっすぐあげて相手の顔を、眼をみつめることさえ——できないというのではなくとも、そこに、ある努力が必要なのだということを相手に感じさせてしまう人なのである。
 九歳で公開の席で指揮し——それももちろん職業的交響楽団をである——、十一歳であのNBC交響楽団にデビューしたなどということは、やっぱり、普通の人間のすることではないのではないか? その結果、彼はどこかであたり前の成長の軌道からはずれてしまう。
 ちょっと考えてみても、たとえ音楽の天分にめぐまれ、三度の飯よりも音楽がすきだとしても、その音楽に接する前に、その中間に、一〇〇人ものオーケストラの楽員たちの壁を越えてでなければならないのだ。しかも、その人たちは——私は何もオーケストラの楽員たちを怪物視する気は毛頭ないのだが——何といっても、鋭敏な感覚と、とかく興奮しやすい、いわゆるtouchyなテンペラメントに富んだ性格の人びとが少なくないところにもってきて、それが一人一人でいるのでなくて、一つの集団として、集団の性格、集団の形態、集団の意志、集団の思考と感受性、集団の意思というあり方で、目の前に坐っているのである。その人びとの先頭に立ち一体となって、音楽をやるのはさぞかしすばらしいことだろう。ことに、年が若く、情熱が純粋である間にすでにそういうことを経験するのは。だが、映画じゃあるまいし、それが現実の生活ということになると、話はそれだけでは済まなくなるにきまっている。
 このことは、私は、ある日、彼と面と向かって立ち、彼のよく左右に動く目をみながら話している時、急に感じたことである。その時のマゼールの目は、自分の前に坐っている一〇〇人の音楽家たちの背後、はるか彼方《かなた》にある《音楽》を感じながら、そこに直接に手をさしのべられないのを、もどかしく思っている人の眼差《まなざ》し、それの悲しみと憧《あこが》れを、無言のままに語っているのだった。
 それから、《実人生》を前にした時の、彼の困惑。そういうものも、私はよく彼の目の中に見た。
 もちろん、彼の目が、いつも、そういう色で染まっているというのではない。ことに彼の顔全体の中で、官能的なものといえば、ただ一つ比較的厚い唇なのだが、その唇も肉感的なものを感じさすのはむしろ開かれている時で、上下の唇が結ばれていると、そこには、もう、何か「素朴なまま」ではありえないような、ある表情が浮かんでくる。マゼールは、子供の時から数学が大好きであり得意だったという話もきいたが、だからといって、彼が特に精神的な人間だというのは、むしろ、当たるまい。数学は、神童モーツァルトも大好きだった。
 私は、何も、彼の人相見をしているわけではない。彼のやる音楽の中に、私たちの感じるもの、それを、簡単に、いいとか悪いとか、わざとらしいとか未熟だとか、押しつけがましいとかいって片づけてしまう、そういうふうに音楽をきくことが、私にはとても単純で、やりきれないくらい退屈でしかないということを、間接に書いてきたのである。
 マゼールの《音楽》も、もちろん、これからだっていろいろ変わることもあるだろう。しかし、あすこには《一人の人間》がいるのである。あすこには、何かをどこかからとってきて、つけたしたり、削ったりすれば、よくなったり悪くなったりするといった、そういう意味での《技術としての音楽》は、もう十歳になるかならないかで卒業してしまった、卒業しないではいられなかった一人の人間の《音楽》があるのである。
 それが好きか嫌いか。それはまた別の話だ。
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