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「みにくいあひるの子」だった私05
日期:2019-09-22 13:08  点击:284
“夜の帝王”

そんな父も、結婚したこと、子どもをつくったことをすごく後悔(こうかい)したときがあったようだ。それも、私が生まれて一年半しかたっていないころのこと。
私が生まれたのは、昭和四十七年(一九七二年)八月二十日の夕方、体重三千六百グラムの、ふつうよりちょっと大きめの赤ん坊だった。
その日、父は朝からソワソワして、地に足がつかない状態だったという。
母が入院していた産婦人科医院の前は、ゆるやかな坂になっている。じっとしていられない父は、それまでに一度もすべったことがないスケートボードで、坂を下(くだ)ってはのぼり、のぼっては下りを繰(く)り返して、わが子の誕生を待ちわびていたという。
とくにスケボーがしたかったわけではなく、たまたま目の届(とど)くところにあっただれかのを勝手に拝借(はいしやく)して、じっとしていられない気持ちをなだめていたのだろう。
あまりの落ち着きのなさに、母の担当医の先生もあきれはてて、父に精神安定剤の注射をしてくれたそうだ。
母と結婚する前の父は、“夜の帝王”と異名(いみよう)をとるほどの遊び人で、毎日、夜の銀座あたりをフラフラしていたと聞く。父が母と出会ったのも、銀座のクラブ。母の本業はファッションモデルだが、アルバイトにホステスをしていた。ちなみに、父の最初の結婚相手も銀座のバーのママだとか。
あまりに遊びすぎた罰(ばち)が、自分にではなく、生まれてくる子どもに返ってくるのではないか、五体満足でなかったら……。
父は本気で心配していたようで、そのときの不安、落ち着きのなさには、そうしたこともあったようだ。
私の泣き声を聞いた瞬間、父は喜びのあまり思わず飛び上がって、その拍子(ひようし)にドアの上のところかなにかに思いきり頭をぶつけ、大きなコブをつくったという。
ところが、私が生まれてまもなく、父の肺(はい)にガンが見つかった。
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