いえぃっ! 私が家元の糸井重里である。
「はぁいっ! 私めが番頭でございます」
しかし番頭さん、あちこちの雑誌に萬流に似た企画が顔を出しておるな。
「そのへんの類似品と萬塾では、番頭の器量がちがいます。さらに言えば家元の器量もでございます。いい意味で」
だいたい見渡したところで、ごく軽く感想を述べるのだが、萬流のスゴミは、ボツの厚みであるということがわかる。
単なる視点の裏返し、ウィットと誤解した無邪気な皮肉。こういったものは、だいたい当塾では浮かばれない。こうした作品は、ボツの海底に沈んでいるのが現状である。その、上の上くらいのところに、「萬的普通ボツ」といったものがドーンと広がっておるのである。この、ごく並のボツが、よその「掲載作品」に相当する。
「家元、今週は強気でございますね」
うん。だって、塾生たちのハガキの水準の高さに感心しているところに、丁稚の集めた類似企画を読んだもんだからさ、あまりにも差があるんで、つい。
「いまいち恵まれていない塾生の皆さんが、よそに投稿してその成果を報告してくると面白うございますねえ」
番頭さんこそ、ずいぶん挑戦的なことを言うじゃないか。
「盛りあがっている時にテングにならないようでは、本当の|萬心《まんごころ》はわかりません」
おたがいに、なんかよくわからないけれど闘争心に燃えているな。
「理由は、あります。塾の先生が受験をひかえた生徒たちにモノスゴイ|檄《げき》をとばしているところを、いましがたテレビのニュースで観たからでございます」
ああ、そうか。雰囲気が感染しちゃったのである。
しかし、ともかく、このところの塾生のレベル向上にはめざましいものがある。家元の知り合いのプロのコピーライターたちも、「こりゃ、うかうかできないぞ」とか言って笑っているけれど、その口もとはかなり引きつっておる。コピー書きを職業にしようという塾生も多少おるかもしれぬが、何より驚異なのは、広告の「受け手」がこんなにも磨かれているということである。
これから紹介していく優れたコピーを書いているのが、シロートであるということが、つくづくオソロシイのだ。
プロの諸君、および、自信満々の投稿家の諸君、もっとアセったほうが身のためであるぞ。