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草枕 十二(2)
日期:2021-03-09 23:49  点击:327

 余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙(よのなか)でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合(きあい)一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好(しこう)で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自(おの)ずから制限されるのもまた当前(とうぜん)である。英国人のかいた山水(さんすい)に明るいものは一つもない。明るい画が嫌(きらい)なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色(けいしょく)をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透明の度の非常に勝(まさ)っている、埃及(エジプト)または波斯辺(ペルシャへん)の光景のみを択(えら)んでいる。したがって彼のかいた画を、始めて見ると誰も驚ろく。英人にもこんな明かな色を出すものがあるかと疑うくらい判然(はっきり)出来上っている。
 個人の嗜好(しこう)はどうする事も出来ん。しかし日本の山水を描くのが主意であるならば、吾々(われわれ)もまた日本固有の空気と色を出さなければならん。いくら仏蘭西(フランス)の絵がうまいと云って、その色をそのままに写して、これが日本の景色(けいしょく)だとは云われない。やはり面(ま)のあたり自然に接して、朝な夕なに雲容煙態(うんようえんたい)を研究したあげく、あの色こそと思ったとき、すぐ三脚几(さんきゃくき)を担いで飛び出さなければならん。色は刹那(せつな)に移る。一たび機を失(しっ)すれば、同じ色は容易に眼には落ちぬ。余が今見上げた山の端(は)には、滅多(めった)にこの辺で見る事の出来ないほどな好(い)い色が充(み)ちている。せっかく来て、あれを逃(にが)すのは惜しいものだ。ちょっと写してきよう。
 襖(ふすま)をあけて、椽側(えんがわ)へ出ると、向う二階の障子(しょうじ)に身を倚(も)たして、那美さんが立っている。顋(あご)を襟(えり)のなかへ埋(うず)めて、横顔だけしか見えぬ。余が挨拶(あいさつ)をしようと思う途端(とたん)に、女は、左の手を落としたまま、右の手を風のごとく動かした。閃(ひらめ)くは稲妻(いなずま)か、二折(ふたお)れ三折(みお)れ胸のあたりを、するりと走るや否(いな)や、かちりと音がして、閃めきはすぐ消えた。女の左り手には九寸(すん)五分(ぶ)の白鞘(しらさや)がある。姿はたちまち障子の影に隠れた。余は朝っぱらから歌舞伎座(かぶきざ)を覗(のぞ)いた気で宿を出る。

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