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虞美人草 七 (7)
日期:2021-04-10 23:59  点击:232
「おい富士が見える」と宗近君が座を(すべ)り下りながら、窓をはたりと(おろ)す。広い裾野(すその)から朝風がすうと吹き込んでくる。
「うん。さっきから見えている」と甲野さんは駱駝(らくだ)毛布(けっと)を頭から(かむ)ったまま、存外冷淡である。
「そうか、()なかったのか」
「少しは寝た」
「何だ、そんなものを頭から被って……」
「寒い」と甲野さんは膝掛の中で答えた。
「僕は腹が減った。まだ飯は食わさないだろうか」
「飯を食う前に顔を洗わなくっちゃ……」
「ごもっともだ。ごもっともな事ばかり云う男だ。ちっと富士でも見るがいい」
叡山(えいざん)よりいいよ」
「叡山? 何だ叡山なんか、たかが京都の山だ」
「大変軽蔑(けいべつ)するね」
「ふふん。――どうだい、あの雄大な事は。人間もああ来なくっちゃあ駄目だ」
「君にはああ落ちついちゃいられないよ」
「保津川が関の山か。保津川でも君より上等だ。君なんぞは京都の電車ぐらいなところだ」
「京都の電車はあれでも動くからいい」
「君は全く動かないか。ハハハハ。さあ駱駝を払い退()けて動いた」と宗近君は頭陀袋(ずだぶくろ)(たな)から取り(おろ)す。(へや)のなかはざわついてくる。明かるい世界へ()け抜けた汽車は沼津で息を入れる。――顔を洗う。
 窓から肉の落ちた顔が半分出る。疎髯(そぜん)を一本ごとにあるいは黒くあるいは白く朝風に吹かして
「おい弁当を二つくれ」と云う。孤堂先生は右の手に若干(そこばく)の銀貨を握って、へぎ(おり)を取る左と()(かえ)に出す。御茶は部屋のなかで娘が()いでいる。
「どうだね」と折の(ふた)を取ると白い飯粒が裏へ着いてくる。なかには長芋(ながいも)白茶(しらちゃ)に寝転んでいる(かたわ)らに、一片(ひときれ)の玉子焼が黄色く()(つぶ)されようとして、苦し紛れに首だけ飯の境に突き込んでいる。
「まだ、食べたくないの」と小夜子は(はし)()らずに折ごと下へ置く。
「やあ」と先生は茶碗を娘から受取って、膝の上の折に突き立てた(はし)(なが)めながら、ぐっと飲む。

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