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虞美人草 七 (10)
日期:2021-04-10 23:59  点击:236


蜜柑(みかん)が食いたい」と宗近君が云う。甲野さんは黙っている。やがて
「あの女は嫁にでも行くんだろうか」と(ごう)も心配にならない気色(けしき)で云う。
「ハハハハ。聞いてやろうか」と挨拶(あいさつ)も聞く料簡(りょうけん)はなさそうである。
「嫁か? そんなに嫁に行きたいものかな」
「だからさ、そりゃ聞いて見なけりゃあ分からないよ」
「君の妹なんぞは、どうだ。やっぱり行きたいようかね」と甲野さんは妙な事を真面目(まじめ)に聞き出した。
「糸公か。あいつは、から赤児(ねんね)だね。しかし兄思いだよ。狐の袖無(ちゃんちゃん)を縫ってくれたり、なんかしてね。あいつは、あれで裁縫が上手なんだぜ。どうだ肱突(ひじつき)でも(こしら)えてもらってやろうか」
「そうさな」
「いらないか」
「うん、いらん事もないが……」
 肱突は不得要領に終って、二人は食卓を立った。孤堂先生の車室を通り抜けた時、先生は顔の前に朝日新聞を一面に(ひろ)げて、小夜子は小さい口に、玉子焼をすくい込んでいた。四個の小世界はそれぞれに活動して、二たたび列車のなかに()れ違ったまま、互の運命を自家の未来に危ぶむがごとく、また怪しまざるがごとく、測るべからざる明日(あす)の世界を擁して新橋の停車場(ステーション)に着く。
「さっき()けて行ったのは小野じゃなかったか」と停車場を出る時、宗近君が聞いて見る。
「そうか。僕は気がつかなかったが」と甲野さんは答えた。
 四個の小世界は、停車場(ステーション)に突き当って、しばらく、ばらばらとなる。

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