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虞美人草 八 (1)
日期:2021-04-10 23:59  点击:239
 一本の浅葱桜(あさぎざくら)が夕暮を庭に曇る。拭き込んだ(えん)は、立て切った障子の外に静かである。うちは小形の長火鉢(ながひばち)手取形(てとりがた)鉄瓶(てつびん)(たぎ)らして前には(しぼ)羽二重(はぶたえ)座布団(ざぶとん)を敷く。布団の上には甲野(こうの)の母が(ひん)よく(すわ)っている。きりりと釣り上げた眼尻の尽くるあたりに、(かん)(すじ)が裏を通って額へ突き抜けているらしい上部(うわべ)を、浅黒く膚理(きめ)の細かい皮が包んで、外見だけは至極(しごく)穏やかである。――針を海綿に(かく)して、ぐっと握らしめたる後、柔らかき手に膏薬(こうやく)()創口(きずぐち)を快よく慰めよ。出来得べくんば(くちびる)を血の出る局所に()けて他意なきを示せ。――二十世紀に生れた人はこれだけの事を知らねばならぬ。骨を(あら)わすものは(ほろ)ぶと甲野さんがかつて日記に書いた事がある。
 静かな椽に足音がする。今(おろ)したかと思われるほどの白足袋(しろたび)を張り切るばかりに細長い足に見せて、変り色の厚いの椽に引き擦るを軽く蹴返(けかえ)しながら、障子(しょうじ)をすうと開ける。
 居住(いずまい)をそのままの母は、濃い(まゆ)を半分ほど入口に傾けて、
「おや御這入(おはいり)」と云う。
 藤尾(ふじお)は無言で(あと)を締める。母の(むこう)に火鉢を隔ててすらりと坐った時、鉄瓶(てつびん)はしきりに鳴る。
 母は藤尾の顔を見る。藤尾は火鉢の横に二つ折に畳んである新聞を俯目(ふしめ)に眺める。――鉄瓶は依然として鳴る。
 口多き時に(まこと)少なし。鉄瓶の鳴るに任せて、いたずらに差し向う親と子に、椽は静かである。浅葱桜は夕暮を誘いつつある。春は()きつつある。
 藤尾はやがて顔を上げた。
「帰って来たのね」
 親、子の眼は、はたと行き合った。真は一瞥(いちべつ)(こも)る。熱に()えざる時は骨を(あら)わす。

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