蟻は甘きに集まり、人は新しきに集まる。文明の民は劇烈なる生存のうちに無聊をかこつ。立ちながら三度の食につくの忙きに堪えて、路上に昏睡の病を憂う。生を縦横に託して、縦横に死を貪るは文明の民である。文明の民ほど自己の活動を誇るものなく、文明の民ほど自己の沈滞に苦しむものはない。文明は人の神経を髪剃に削って、人の精神を擂木と鈍くする。刺激に麻痺して、しかも刺激に渇くものは数を尽くして新らしき博覧会に集まる。
狗は香を恋い、人は色に趁る。狗と人とはこの点においてもっとも鋭敏な動物である。紫衣と云い、黄袍と云い、青衿と云う。皆人を呼び寄せるの道具に過ぎぬ。土堤を走る弥次馬は必ずいろいろの旗を担ぐ。担がれて懸命に櫂を操るものは色に担がれるのである。天下、天狗の鼻より著しきものはない。天狗の鼻は古えより赫奕として赤である。色のある所は千里を遠しとせず。すべての人は色の博覧会に集まる。
蛾は灯に集まり、人は電光に集まる。輝やくものは天下を牽く。金銀、、瑪瑙、琉璃、閻浮檀金、の属を挙げて、ことごとく退屈の眸を見張らして、疲れたる頭を我破と跳ね起させるために光るのである。昼を短かしとする文明の民の夜会には、あらわなる肌に鏤たる宝石が独り幅を利かす。金剛石は人の心を奪うが故に人の心よりも高価である。泥海に落つる星の影は、影ながら瓦よりも鮮に、見るものの胸に閃く。閃く影に躍る善男子、善女子は家を空しゅうしてイルミネーションに集まる。
文明を刺激の袋の底に篩い寄せると博覧会になる。博覧会を鈍き夜の砂に漉せば燦たるイルミネーションになる。いやしくも生きてあらば、生きたる証拠を求めんがためにイルミネーションを見て、あっと驚かざるべからず。文明に麻痺したる文明の民は、あっと驚く時、始めて生きているなと気がつく。
花電車が風を截って来る。生きている証拠を見てこいと、積み込んだ荷を山下雁鍋の辺で卸す。雁鍋はとくの昔に亡くなった。卸された荷物は、自己が亡くならんとしつつある名誉を回復せんと森の方にぞろぞろ行く。
虞美人草 十一 (1)
日期:2021-04-16 23:56 点击:220