清水の舞台から飛び降りたような語勢は鼻の先でふふんと留った。母はまたおやと思う。
「あの人はいつ博士になるんだろうね」
「いつですか」とよそごとのように云う。
「御前――あの人と喧嘩でもしたのかい」
「小野さんに喧嘩が出来るもんですか」
「そうさ、ただ教えて貰やしまいし、相当の礼をしているんだから」
謎の女にはこれより以上の解釈は出来ないのである。藤尾は返事を見合せた。
昨夕の事を打ち明けてこれこれであったと話してしまえばそれまでである。母は無論躍起になって、こっちに同情するに違ない。打ち明けて都合が悪いとは露思わぬが、進んで同情を求めるのは、餓に逼って、知らぬ人の門口に、一銭二銭の憐を乞うのと大した相違はない。同情は我の敵である。昨日まで舞台に躍る操人形のように、物云うも懶きわが小指の先で、意のごとく立たしたり、寝かしたり、果は笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさして、面白く興じていた手柄顔を、母も天晴れと、うごめかす鼻の先に、得意の見栄をぴくつかせていたものを、――あれは、ほんの表向で、内実の昨夕を見たら、招く薄は向へ靡く。知らぬ顔の美しい人と、睦じく御茶を飲んでいたと、心外な蓋をとれば、母の手前で器量が下がる。我が承知が出来ぬと云う。外れた鷹なら見限をつけてもういらぬと話す。あとを跟けて鼻を鳴らさぬような犬ならば打ちやった後で、捨てて来たと公言する。小野さんの不心得はそこまでは進んでおらぬ。放って置けば帰るかも知れない。いや帰るに違ないと、小夜子と自分を比較した我が証言してくれる。帰って来た時に辛い目に逢わせる。辛い目に逢わせた後で、立たしたり、寝かしたりする。笑わしたり、焦らしたり、どぎまぎさしたりする。そうして、面白そうな手柄顔を、母に見せれば母への面目は立つ。兄と一に見せれば、両人への意趣返しになる。――それまでは話すまい。藤尾は返事を見合せた。母は自分の誤解を悟る機会を永久に失った。
「さっき欽吾が来やしないか」と母はまた質問を掛ける。鯉は躍る。蓮は芽を吹く、芝生はしだいに青くなる、辛夷は朽ちた。謎の女はそんな事に頓着はない。日となく夜となく欽吾の幽霊で苦しめられている。書斎におれば何をしているかと思い、考えておれば何を考えているかと思い、藤尾の所へ来れば、どんな話をしに来たのかと思う。欽吾は腹を痛めぬ子である。腹を痛めぬ子に油断は出来ぬ。これが謎の女の先天的に教わった大真理である。この真理を発見すると共に謎の女は神経衰弱に罹った。神経衰弱は文明の流行病である。自分の神経衰弱を濫用すると、わが子までも神経衰弱にしてしまう。そうしてあれの病気にも困り切りますと云う。感染したものこそいい迷惑である。困り切るのはどっちの云い分か分らない。ただ謎の女の方では、飽くまでも欽吾に困り切っている。
虞美人草 十二 (18)
日期:2021-04-17 23:58 点击:296