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虞美人草 十二 (22)
日期:2021-04-17 23:58  点击:305

 迷っている男の鼻面(はなづら)(かす)めて、黒い影が(さっ)と横切って過ぎた。男はあっと思う()(せん)を越されてしまう。仕方がないから、
奇麗(きれい)でしたろう」とつける。奇麗でしたろうは詩人として余り平凡である。口に出した当人も、これはひどいと自覚した。
「奇麗でした」と女は明確(きっぱり)受け留める。(あと)から
「人間もだいぶ奇麗でした」と浴びせるように付け加えた。小野さんは思わず藤尾の顔を見る。少し見当(けんとう)がつき兼ねるので
「そうでしたか」と云った。(あた)(さわ)りのない答は大抵の場合において()な答である。弱身のある時は、いかなる詩人も愚をもって自ら甘んずる。
「奇麗な人間もだいぶ見ましたよ」と藤尾は鋭どく繰り返した。何となく物騒な句である。なんだか無事に通り抜けられそうにない。男は仕方なしに口を(つぐ)んだ。女も留ったまま動かない。まだ白状しない気かと云う眼つきをして小野さんを見ている。宗盛(むねもり)と云う人は刀を突きつけられてさえ腹を切らなかったと云う。利害を重んずる文明の民が、そう軽卒に自分の損になる事を陳述する訳がない。小野さんはもう少し敵の動静を(つまびらか)にする必要がある。
「誰か御伴(おつれ)がありましたか」と何気なく聴いて見る。
 今度は女の返事がない。どこまでも一つ関所を守っている。
「今、門の所で甲野さんに逢ったら、甲野さんもいっしょに行ったそうですね」
「それほど知っていらっしゃる癖に、何で御尋ねになるの」と女はつんと()ねた。
「いえ、別に御伴でもあったのかと思って」と小野さんは、うまく逃げる。
「兄の(ほか)にですか」
「ええ」
「兄に聞いて御覧になればいいのに」
 機嫌は依然として悪いが、うまくすると、どうか、こうか(うず)の中を()ぎ抜けられそうだ。向うの言葉にぶら下がって、往ったり来たりするうちに、いつの()にやら平地(ひらち)へ出る事がある。小野さんは今まで毎度この手で成功している。
「甲野君に聞こうと思ったんですけれども、早く上がろうとして急いだもんですから」
「ホホホ」と突然藤尾は高く笑った。男はぎょっとする。その(すき)
「そんなに(いそが)しいものが、何で四五日無届欠席をしたんです」と飛んで来た。
「いえ、四五日大変忙しくって、どうしても来られなかったんです」
「昼間も」と女は肩を(うしろ)へ引く。長い髪が一筋ごとに()きているように動く。
「ええ?」と変な顔をする。
「昼間もそんなに忙しいんですか」
「昼間って……」

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