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虞美人草 十三 (5)
日期:2021-04-17 23:58  点击:293

「そうかな」と甲野さんは椽側(えんがわ)の方を見た。野面(のづら)御影(みかげ)に、乾かぬ露が降りて、いつまでも湿(しっ)とりと(なが)められる(わたし)二尺の、(ふち)(えら)んで、鷺草(さぎそう)とも(すみれ)とも片づかぬ花が、数を乏しく、行く春を(ぬす)んで、ひそかに咲いている。
「美しい花が咲いている」
「どこに」
 糸子の目には正面の赤松と根方(ねがた)にあしらった熊笹(くまざさ)が見えるのみである。
「どこに」と暖い(あご)を延ばして(むこう)を眺める。
「あすこに。――そこからは見えない」
 糸子は少し腰を上げた。長い(そで)をふらつかせながら、二三歩膝頭(ひざがしら)(えん)に近く()り寄って来る。二人の距離が鼻の先に(せま)ると共に(かす)かな花は見えた。
「あら」と女は(とま)る。
「奇麗でしょう」
「ええ」
「知らなかったんですか」
「いいえ、ちっとも」
「あんまり小さいから気がつかない。いつ咲いて、いつ消えるか分らない」
「やっぱり桃や桜の方が奇麗でいいのね」
 甲野さんは返事をせずに、ただ口のうちで
「憐れな花だ」と云った。糸子は黙っている。
昨夜(ゆうべ)の女のような花だ」と甲野さんは重ねた。
「どうして」と女は不審そうに聞く。男は長い眼を(ひるが)えしてじっと女の顔を見ていたが、やがて、
「あなたは気楽でいい」と真面目に云う。
「そうでしょうか」と真面目に答える。
 ()められたのか、(くさ)されたのか分らない。気楽か気楽でないか知らない。気楽がいいものか、わるいものか(かい)しにくい。ただ甲野さんを信じている。信じている人が真面目(まじめ)に云うから、真面目にそうでしょうかと云うよりほかに道はない。
 (あや)は人の目を奪う。巧は人の目を(かす)める。質は人の目を明かにする。そうでしょうかを聞いた時、甲野さんは何となくありがたい心持がした。直下(じきげ)に人の魂を見るとき、哲学者は理解(りげ)(かしら)を下げて、無念とも何とも思わぬ。
「いいですよ。それでいい。それで無くっちゃ駄目だ。いつまでもそれでなくっちゃ駄目だ」

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