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红房子(9)
日期:2021-08-08 04:11  点击:371
 変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った屋根の頂上に立っている避雷針(ひらいしん)から出ていることが分りました。無論針金には被覆が施されていましたけれど、今雀のとまった部分は、どうしたことかそれがはがれていたのです。私は電気のことはよく知らないのですが、どうかして空中電気の作用とかで、避雷針の針金に強い電流が流れることがあると、どこかで聞いたのを覚えていて、さてはそれだなと気附きました。こんな事に出くわしたのは初めてだったものですから、珍らしいことに思って、私は暫らくそこに立止ってその針金を眺めていたものです。
 すると、そこへ、西洋館の横手から、兵隊ごっこかなにかして遊んでいるらしい子供の一団が、ガヤガヤ云いながら出て来ましたが、その中の六ツか七つの小さな男の子が、(ほか)の子供達はさっさと向うへ行って了ったのに、一人あとに残って、何をするのかと見ていますと、今の避雷針の針金の手前の小高くなった所に立って、前をまくると、立小便を始めました。それを見た私は、又もや一つの妙計を思いつきました。私は中学時代に水が電気の導体だということを習ったことがあります。今子供が立っている小高い所から、その針金の被覆のとれた部分へ小便をしかけるのは訳のないことです。小便は水ですからやっぱり導体に相違ありません。
 そこで私はその子供にこう声をかけました。
「おい坊っちゃん。その針金へ小便をかけて御覧。とどくかい」
 すると子供は、
「なあに訳ないや、見てて御覧」
 そういったかと思うと、姿勢を換えて、いきなり針金の地の現れた部分を目がけて小便をしかけました。そして、それが針金に届くか届かないに、恐ろしいものではありませんか、子供はビョンと一つ踊る様に跳上ったかと思うと、そこへバッタリ倒れて了いました。あとで聞けば、避雷針にこんな強い電流が流れるのは非常に珍らしいことなのだ相ですが、か様にして、私は生れて始めて、人間の感電して死ぬ所を見た訳です。
 この場合も無論、私は少しだって疑いを受ける心配はありませんでした。ただ子供の死骸に取縋(とりすが)って泣入っている母親に鄭重(ていちょう)な悔みの言葉を残して、その場を立去りさえすればよいのでした。
 これもある夏のことでした。私はこの男を一つ犠牲(いけにえ)にしてやろうと目ざしていたある友人、と云っても決してその男に恨みがあった訳ではなく、長年の間無二の親友としてつき合っていた程の友達なのですが、私には却って、そういう仲のいい友達などを、何にも云わないで、ニコニコしながら、アッという間に死骸にして見たいという異常な望みがあったのです。その友達と一緒に、房州のごく辺鄙なある漁師町へ避暑に出かけたことがあります。無論海水浴場という程の場所ではなく、海にはその部落の赤銅色(しゃくどういろ)の肌をした小わっぱ達がバチャバチャやっている(だけ)で、都会からの客といっては私達二人の外には画学生らしい連中が数人、それも海へ入るというよりは其辺の海岸をスケッチブック片手に歩き廻っているに(すぎ)ませんでした。

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