彼は愚痴っぽく、心で死者に囁いていた。
そんな風に、なき愛嬢のことばかり考えていた時、突然車が急カーヴして、身体がグッと横倒しになったので、大銀行家は、ふと現実に立帰った。
見ると、目の前によその自動車が、大きく立ちふさがっていた。危く衝突する所を、こちらの運転手の手際で、僅かに避けることが出来たのだ。
「どうも、すみません」
向うの自動車の運転手が、窓から顔を出して、叮嚀に詫びている。
こちらの運転手は、上等自動車の手前、威厳を見せて、はしたなく怒鳴りつける様なことはせぬ。その代り、無言のまま正面を切って、相手の詫言を黙殺して、しずしずと車を出発させた。
先方の自動車も動き出す。衝突しかけた程だから、出発する双方の車は、殆ど窓と窓とがスレスレに接近して、反対の方角に、行きちがった。
庄兵衛氏は、当然、先方の車の窓を見た。目の先五寸とは隔たぬ向の窓は、見まいとしても目に写る。窓ガラスが開いていた。その中に白い花の様な顔があった。
こちらの窓も半開になっていたので、顔と顔とが、何の障害物もなく向き合った。
庄兵衛氏の頭の中で、ギラギラ光る花火の様なものが、クルクルと廻転した。余りのことに声も出なければ、息さえ止ったかと思われた。
と、聞き覚えのある、懐しい声が、「アラ、お父さま! お父さま! 助けて……」と口早やに叫んだ。イヤ、叫びかけた。「助けて」の「た」が口を出ぬ先に、何者かが照子の口を閉ぎ、スルスルと窓のブラインドをおろした。
まがう方なき我娘照子であった。
「アッ、照子、オイ、車を止めるんだ。あの車をおっかけるんだ」
庄兵衛氏は、車の中で地だんだを踏みながら、怒鳴った。
だが、こちらの運転手には、事の仔細が分らぬ。何事かとたまげて、躊躇している間に、先方の車は矢の様に走りだした。
「何でもいいから、今の車をおっかけるんだ。早く早く、何をぐずぐずしているか」
庄兵衛氏の気違いめいた命令に、運転手はやっと車の方向を転じて、走り出した。随分スピードのある車だったが、方向転換その他に手間どった。その上、相手の車が、なりは小さいけれど、滅茶苦茶な速力だ。
恐怖王-怪汽车(2)
日期:2021-08-26 23:57 点击:299