「どうしたんだ。電話は誰からだ」
「アノ、照子だとおっしゃいました。確かにおなくなりなすったお嬢さまのお声でございます」
女中はやっとそれを云って、ひどく叱られはしないかと、オズオズ主人を眺めた。
「照子だ? オイ、何をつまらんことを云っているのだ。死人から電話が掛ってくる筈がないじゃないか」
「でも、是非お父さまにとおっしゃいまして、何度伺い直しても、照子よ、照子よとおっしゃるばかりでございますの」
女中は泣き声になっていた。
聞くに従って、布引氏も怪しい気持に引入れられて、若しかしたら本当に照子かも知れないと感じ始めた。
そこで、兎も角も、寝室の卓上電話に接続させて、受話器を取って見た。
「わたし、布引だが、あなたはどなた?」
「アア、お父さま! あたし照子です。お分りになりまして? 照子は生きていますのよ」
「オイ、照子! お前、本当に照子なのか。どこにいるのだ。一体どうしたというのだ」
流石の老実業家も、この驚くべき電話を受けて、しどろもどろにならないではいられなかった。
「お父さま! あたし何も云えないのです。アノ、側に人がいるんです。命じられたことの外は何も云えないのです。でないと殺されてしまいます」
「よし、分った。安心おし、きっと救い出して上げる。で、その命じられたことを云ってごらん」
布引氏は、電話が切れてから、交換局に先方の住所を調べさせることを考えて、態と何気ない体を装った。
「お父さま! すみません。あたしお父さまにこんなひどいことをお願いしなければならないなんて。……アノ、ここにいる人が、お父さまにあたしを買い戻す様にお頼みしろと云いますの」
「分った、早く云ってごらん。一体どれ程の身代金を要求するのだ」
「五万円……それも現金で、お父さまご自身で持って来て下さらなければいけないと申しますの」
「よしよし、心配することはない。お父さまはその身代金を払って上げる。で、どこへ持って行けばよいのだね」
「それはアノ、お父さま今日写真屋さんをお呼びになったでしょう。その時牛込S町の空屋のことお聞きになりませんでした?」
「ウン、聞いた。お前今そこにいるのかい」
「イイエ、今は違います。でも、明日の朝、十時にはそこへつれて行かれるのです。そしてお父さまのお金と引換えに帰してやると申しているのです。分りまして? あのS町の空屋へ朝十時に……ね、分りまして?」
「分った、分った。安心して待ってお出で、お父さまがきっと迎えに行って上げるからね」
「そして、アノ、このことを警察へ云ったりなんかすると、あたし殺されてしまいますのよ。アノ、今なんにも云えませんけど、相手の人は多勢いて、それは想像もつかない程恐ろしい団体なのですから、用心して下さいましね。……アラ、何も云やしませんわ。エエ、切ります、切ります。――ではお父さま、本当に……」
そこで、側にいた奴が、無理に受話器をかけたと見えて、バッタリ声が途絶えてしまった。
布引氏が直様交換局を呼出して、先方の電話の所を調べさせたのは云うまでもない。併し、その結果分ったことは、相手の非常な用心深さばかりであった。先方の電話はある場末の自動電話だったのだ。無論曲者はもう遠くに逃げ去ったに違いない。今から何と騒いで見ても追ッつかぬ。
布引氏は賊の申出でに従って、警察に届出でるのは見合せることにした。こういう場合に、賊の申出にさからって、飛んでもない結果をひき起した例を、屡々耳にしていたからだ。賊は五万円が目的なのだ。それさえ与えたら危害を加えることもなかろう。それに五万円は大金ではあるけれど、布引氏の資産に比べては物の数でもない。しかも何物にも換え難い一粒種の愛嬢の命が買えるのだ。「こんな廉い取引はない」と、太っ腹の布引氏は忽ち思案を定めたのである。
恐怖王-電話の声(2)
日期:2021-08-29 23:51 点击:262