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恐怖王-妖术(3)
日期:2021-08-29 23:51  点击:265

 けだものと人間とは、一かたまりに組合って、床の上を転げ廻った。蘭堂は少々柔道の心得があったけれど、野獣にかかっては、何の甲斐もなく、一転、二転、三転する内には、遂にゴリラ男の下敷きになってしまった。
「生意気な、貴様絞め殺してやるぞ」
 ゴリラの毛むくじゃらな両手が、ジリジリと喉を絞めはじめた。
 蘭堂はもう力が尽きてはね返す気力はなかった。絞めつけられた彼の紅顔は、見る見る紫色にふくれ上って行った。
「ヒヒヒ……、青二才め、どうだ苦しいか。もう少しの我慢だ。今に気が遠くなって、極楽往生(おうじょう)だぜ。云い残すことはないかね。ヒヒヒヒヒヒヒ、云い残そうにも口が利けまい」
 けだものは、残酷にも、ゆるめては絞め、ゆるめては絞め、しかも徐々に両手の力を加えて行った。
 と、その時突然、ビシーンという銃声が聞えたかと思うと、部屋の窓ガラスがガラガラと(くだ)(おち)た。
「サアお放し、その手をお放し、でないと、今度はお前の背中だよ」
 組合った二人のうしろに、いつの間にか小型のピストルを手にした夏子未亡人が、精一杯の力で、歯を食いしばって突立っていた。ピストル持つ手がワナワナと震えている。
 流石の猛獣も飛道具には(かな)わぬ。ゴリラは不承不精(ふしょうぶしょう)に手を放して立上ると、ジリジリとドアの方へあとじさりを始めた。
「大江先生、しっかりして下さいまし。大丈夫ですか」
 夏子はピストルを構えたまま、倒れた蘭堂の上にかがみ込んで叫んだ。
 蘭堂は喉をさすりながら、ムクムクと起き上った。まだへこたれてはいない。立上るなり大声に怒鳴って駈け出した。
「待て、畜生、今度こそ逃がさぬぞ」
 夏子が蘭堂に気をとられている隙に、ゴリラはドアの外へ逃げ出していたのだ。蘭堂はそのあとを追って廊下へ飛出した。
 ゴリラは見通しの廊下を、背を丸くして、這う様に走って行く。だが、どう戸まどいしたのか、入口とは反対の方角だ。廊下の突き当りは部屋になっている。ゴリラは、いきなりそのドアを開いて部屋の中に隠れた。間髪(かんぱつ)()れず蘭堂も同じドアから飛込む。
 それは、来客用の寝室らしく、寝台と小卓と二脚の椅子と、小箪笥(こだんす)(ほか)には何もない至極(しごく)アッサリした部屋であった。人間の隠れる場所は寝台の下を除いてはどこにもない。窓は内部から(しまり)がしてある。しかも、ガラス窓の(そと)には鉄格子が見えている。
 それにも拘らず、蘭堂が飛び込んで見ると、そこには人影もなかったのだ。寝台の下を覗いて見たのは云うまでもない。その(ほか)箪笥の蔭にも、ドアのうしろにも、どこにもゴリラの姿は見えぬ。不思議だ。怪物は煙の様に消えてなくなったのだ。
 そこへ、オズオズ夏子が這入って来た。
「消えてしまったのです。まさかこの部屋に秘密戸がある訳ではないでしょうね」
 蘭堂がボンヤリして尋ねた。
「そんなものございませんわ。本当にこの部屋へ逃げましたの」
「それは間違いありません。一足違いで、僕が飛び込んだのです。ホンの五六秒の差です。それに、あいつは影も形もなくなっていたのです」
 蘭堂はやっぱり悪夢にうなされている気持だった。
 それから、長い間かかって、その寝室は勿論、(すべ)ての部屋部屋、台所の隅までも、隈なく探し廻ったが、人間はおろか一匹の猫さえも飛出して来なかった。
 ゴリラ男は忍術を使うのだろうか、それとも何か人間世界にはない猿族(えんぞく)の妖術をでも心得ていたのだろうか。
 だが、いくら人外(じんがい)生物(いきもの)とて、煙となって立昇る筈はない。そこには何かしら人目をくらます欺瞞(ぎまん)があったのだ。それがどの様なものだかは、やがて判明する時があるだろう。

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