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一寸法师-密会(10)
日期:2021-09-29 23:53  点击:312

 紋三はこの数日、長い間の倦怠(けんたい)をのがれて、可なり緊張した気持を味うことが出来た。彼はやっとこの世に(いき)がいを見出した様に思った。奇怪な犯罪事件の渦中(かちゅう)にまき込まれて、素人探偵を気取ることも、子供らしい彼には随分面白かったが、それよりも、今までは、何か段違いの相手の様な気がして、口を利くことさえ(はばか)られた山野夫人が、思いもかけず、くだけた調子で彼に接近して来たことが、何よりもうれしかった。彼は三千子のことをかこつけに、機会さえあれば山野家を訪れ、夫人の身辺につきまとった。
 そして、遂には夫人の秘密を握ることが出来た。恋という曲者が、彼を異常に敏感にしたのだ。夫人の一挙一動、どんな些細(ささい)な事柄も彼の監視を(まぬが)れることは出来なかった。彼は小間使のお雪と同様に今宵(こよい)の密会を悟った。そして、お雪には真似の出来ない芸当をやった。彼は機敏にも怪人物の自動車の助手を買収して、とうとうこの隠れ家をつきとめることが出来たのだ。専門家の明智小五郎をだし抜いて、彼の夢にも知らない手がかりを握ったかと思うと、紋三はひどく得意だった。
 だが、相手の奇怪な人物が何者だかは、まるで見当がつかなんだ。ふと、どこかで一度逢った人の様な気がしないでもなかったが、それ以上のことは少しも分らないのだ。分っているのは、彼奴(あいつ)が夫人の弱味につけ込んで彼女を脅迫していることと、夫人が何か恐しい秘密を持っていて、甘んじて男の意のままに動いていることだった。
 だが、夫人にどんな秘密があろうと、紋三は彼女をにくむ気にはなれなかった。にくいのは相手の男だった。彼は男に対して烈しい嫉妬(しっと)を感じた。か弱い夫人が、今ごろあいつのためにどんな目に会っているかと思うと、気が狂い相だった。
 様々の醜い場面が、まざまざと目の先にちらついた。そこには(けだもの)の様な男がいた。なまめかしく取乱(とりみだ)した夫人の姿があった。それを思うと彼は肉体的な痛みを感じた。幾度家の中へ飛びこもうとしたか知れなかった。だが、夫人の迷惑を察して僅に踏み(とど)まった。
 待っても待っても彼等は出て来る様子がなかった。さい前からほとんど一時間も闇の中に立っていた。妄想は(つの)るばかりだった。もう辛抱(しんぼう)がし切れなかった。それに、丁度その時、彼は二階の方から女の悲鳴らしいものを聞いた。聞いた様に思った。
 彼は半狂乱の(てい)で、門を入ると手荒く格子戸を開けた。
「ご免なさい」
 家の中はシーンとしずまり返っていた。
「だれもいないのですか」
 彼は二度も三度も大声に怒鳴ったが、何の返事もなかった。彼は思い切って玄関の障子を開けた。それでもまだだれも出て来ないので(つぎ)()との境の(ふすま)を開いて中をのぞいて見た。そこには人の影もなかった。

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