鹿と鸚鵡
少年達は、今にもその猛獣が、ポパイを追っかけて、飛び出して来るのではないかと、思わず身がまえましたが、いくら待っても、何事も起らず、あたりはシーンとしずまりかえっているのです。
「へんだなあ。オイ、ポパイ、お前どんな奴に出くわしたんだい?」
一郎君がそういって、犬の方へ近づいて行きますと、ポパイはしきりに尻尾をふって、一郎君をふり返りながら、なぜか又、しげみの中へ引きかえして行きそうにするのです。
「ア、そうだ。君、ポパイが勝ったんだよ。相手の奴をやっつけたんだよ。でなけりゃ、こんなに尻尾をふって、おちついているわけがないよ」
保君が息をはずませていいました。保君はお家に犬を飼っていただけに、そういうことは、ほかの二人よりも早くわかるのです。
「ウン、そうかも知れないね。じゃ、こいつのあとからついて行ってみようか」
一郎君が、保君と哲雄君を見くらべるようにしていいました。三人ともまだ何となく怖いような気持が残っていましたが、でも勇気を出して、ポパイのあとをつけて見ることにしました。
見なれない色々な木のまじったしげみを分けて、道もなにもないところを進むのですから、人間には、とても犬のように早くは歩けません。木の枝で顔や手を傷つけられながら、ポパイを見うしなわないように、夢中になって進んで行きますと、やがて、木立がまばらになって、歯朶類が一面にはえしげっている場所に出ました。
「ア、あれだ」
保君が指さすところを見ますと、歯朶の葉にうずまるようになって、一匹のけものが倒れていることがわかりました。猛獣ではありません。ポパイよりも少し大きい、脚の細いきゃしゃなけものです。
「ナアンだ。これ鹿じゃないか」
動物園で見なれている日本の鹿とは少し変っているようでしたが、でも鹿の一種にちがいありません。
「かわいそうに、ポパイが食い殺してしまったんだね。でも、こんな奴なら安心だ。僕は恐しい猛獣じゃないかと思ったんだよ」
一郎君が鹿の死骸をのぞきこみながら、いいますと、保君は、
「ウン、僕もさ。だが、ポパイ、お前強いんだねえ。まるで映画のポパイとそっくりじゃないか」
とたのもしげに、ポパイの頭をなでてやるのでした。
「でも、安心は出来ないぜ。こんな鹿ばかりならいいけれど、この森の奥にはどんな猛獣がいるかも知れないからね」
一郎君が気味わるそうに、しずまり返ったあたりを見まわしました。
「ウン、そうだよ、椰子が生えているのを見ると、ここはやっぱり南洋のどこかの島にちがいないが、地理で教わったように、南洋にはずいぶん恐しい猛獣がすんでいるんだからね」
哲雄君も心配そうにいいます。
「猛獣って、ゴリラかい」
保君が目をまんまるにして、哲雄君にたずねました。
「ゴリラはどうかしらないけど、オラン・ウータンがいるんだよ。ゴリラと同じような、あの恐しい類人猿さ。ホラ、いつか先生から、南洋の動物っていうお話を聞いたじゃないか。大蛇や大蜥蜴や鰐も南洋の名物だし、それから、猪だとか虎なんかもいるんだって」
「ア、そうだったね。思い出したよ、大蛇や大蜥蜴の絵を見せてもらったんだね。それからオラン・ウータンも」
保君はキョロキョロあたりを見まわしながら、さも気味わるそうにささやきました。ずっとむこうの山の上までつづいている、はてしもない深い森の奥には、あの絵で見たような恐しい動物が、ウジャウジャいるのかと思うと、ゾーッとしないではいられませんでした。
森の中の見なれないウネウネまがった木の幹が、その大蛇ではないかと思われたり、つい足元の大きな歯朶の葉かげに、その大蜥蜴がかくれているような気がして、気味がわるくてしかたがないのです。
「だが、そんな猛獣よりももっと恐しいのは人間だよ」
哲雄君が考え深い顔でいいます。
「エ、人間だって?」
「ウン、人間だよ、人喰人種だよ。やっぱりあの時、先生がおっしゃったじゃないか。南洋の島の開けない地方には、まだ今でも首狩をする野蛮人がすんでいるって。首狩人種がいるとすれば、人喰人種だっているかも知れないよ」
「ア、そうだ。南洋の野蛮人は、毒矢の名人だね」
話せば話すほど、恐しいことばかりです。森のしげみの間から、そのドス黒い顔をした野蛮人が、ギロギロ目を光らせて、ジッとこちらを見ているのではないかと、もう気が気ではありません。
「ねえ、こんなところにいないで、早く海岸へもどろうよ」
ちゃめの保君が第一番に弱音をはきました。そして、三人が元の椰子の林の方へ引返そうと歩き出した時です。哲雄君が何を見つけたのか、とつぜん立ちどまって、さけびました。
「ア、あれをごらん。ホラ、あのむこうの大きな木をごらん」
一郎君と保君は、びっくりして、哲雄君の指さす、はるかむこうの大きな木をながめました。
「ワア、きれいだね。まっしろな花が一ぱい咲いている。でも、なんてでっかい花だろう」
二十メートル以上もあるような大木の、こんもりとしげった、青々とした葉の間に、大きな白い花が一面に咲いているのです。その花の大きさは、目分量で四五十センチもありそうです。
熱帯には大きな花が咲くと聞いていましたが、こんな美しい花の咲く木は、話に聞いたことも、本で読んだこともありません。
「オヤ、あの花うごいているよ」
いちはやく、それを見つけたのも哲雄君でした。
「エ、花が動くって?」
「ホラ、あれだよ。ピクピク動いている。ア、ごらん、あの花、みんな動いているよ。生きているみたいだねえ」
「ほんとだ。生きている。ア、飛んだよ、空へ飛び上ったよ」
不思議、不思議、まっしろな花がパッとはねをひろげて、空高くまい上ったではありませんか。三人はそれを見てあっけにとられてしまいました。花がひとりで動いたり、飛んだりするなんて、まるで魔法の国へでも来たようで、おもしろいよりは恐しさが先にたつのです。
「ア、わかった。あれ鳥だよ。まっしろな鳥が、一ぱいあの木にとまっているんだよ。見ててごらん」
一郎君は小石をさがして、いきなり、勢こめてその木の方へなげつけました。遠くなので、石は木までとどかないで落ちましたが、でも、その物音におどろいたのか、今まで花と見えていた白いものが、一度にパッと、花ふぶきのように飛立って、やがて又別の木に、花が咲くようにとまるのでした。
あとでわかったのですが、それは白い鸚鵡だったのです。日本などでは思いもよらない、野生の鸚鵡が何千羽となく大木にむらがっていたのです。