おとしあな
さすがの怪盗も、これには胆をつぶしました。相手が人間ならばいくらピストルを向けられてもおどろくような賊ではありませんが、古い古い鎌倉時代の観音さまが、いきなり動きだしたのですから、びっくりしないではいられません。
びっくりしたというよりも、ゾーッと心の底からおそろしさがこみあげてきたのです。こわい夢をみているような、あるいはお化けにでも出くわしたような、なんともえたいのしれぬ恐怖です。
大胆不敵の二十面相が、かわいそうに、まっさおになって、たじたじとあとじさりをして、ごめんなさいというように、ろうそくを床において、両手を高くあげてしまいました。
すると、またしても、じつにおそろしいことがおこったのです。観音さまが、れんげの台座からおりて、床の上に、ヌッと立ちあがったではありませんか。そして、じっとピストルのねらいをさだめながら、一歩、二歩、三歩、賊のほうへ近づいてくるのです。
「き、きさま、いったい、な、何者だっ。」
二十面相は、追いつめられたけもののような、うめき声をたてました。
「わしか、わしは羽柴家のダイヤモンドをとりかえしに来たのだ。たった今、あれをわたせば、一命を助けてやる。」
おどろいたことには、仏像がものをいったのです。おもおもしい声で命令したのです。
「ハハア、きさま、羽柴家のまわしものだな。仏像に変装して、おれのかくれがをつきとめに来たんだな。」
相手が人間らしいことがわかると、賊は少し元気づいてきました。でも、えたいのしれぬ恐怖が、まったくなくなったわけではありません。というのは、人間が変装したのにしては、仏像があまり小さすぎたからです。立ちあがったところを見ると、十二―三の子どもの背たけしかありません。その一寸法師みたいなやつが、落ちつきはらって、老人のようなおもおもしい声でものをいっているのですから、じつになんとも形容のできないきみ悪さです。
「で、ダイヤモンドをわたさぬといったら?」
賊はおそるおそる、相手の気をひいてみるように、たずねました。
「おまえの命がなくなるばかりさ。このピストルはね、いつもおまえが使うような、おもちゃじゃないんだぜ。」
観音さまは、このご隠居然とした白髪の老人が、そのじつ二十面相の変装姿であることを、ちゃんと知りぬいているようすでした。たぶん、さいぜんの手下の者との会話をもれ聞いて、それと、察したのでしょう。
「おもちゃでないというしょうこを、見せてあげようか。」
そういったかと思うと、観音さまの右手がヒョイと動きました。
と同時に、ハッととびあがるようなおそろしい物音。部屋のいっぽうの窓ガラスがガラガラとくだけ落ちました。ピストルからは、実弾がとびだしたのです。
一寸法師の観音さまは、めちゃめちゃにとびちるガラスの破片を、チラと見やったまま、すばやくピストルのねらいをもとにもどし、インド人みたいなまっ黒な顔で、うすきみ悪くニヤニヤと笑いました。
見ると賊の胸につきつけられたピストルの筒口からは、まだうす青い煙がたちのぼっています。
二十面相は、この黒い顔をした小さな怪人物の肝ったまが、おそろしくなってしまいました。
こんなめちゃくちゃならんぼう者は、何をしだすかしれたものではない。ほんとうにピストルでうちころす気かもしれぬ。たといその弾丸はうまくのがれたとしても、このうえあんな大きな物音をたてられては、付近の住民にあやしまれて、どんなことになるかもしれぬ。
「しかたがない。ダイヤモンドはかえしてやろう。」
賊はあきらめたようにいいすてて、部屋のすみの大きな机の前へ行き、机の足をくりぬいたかくし引きだしから、六個の宝石をとりだすと、てのひらにのせて、カチャカチャいわせながらもどってきました。
ダイヤモンドは、賊の手の中でおどるたびごとに、床のろうそくの光をうけて、ギラギラと虹のようにかがやいています。
「さあ、これだ。よくしらべて受けとりたまえ。」
一寸法師の観音さまは、左手をのばして、それを受けとると、老人のようなしわがれ声で、笑いました。
「ハハハ……、感心、感心、さすがの二十面相も、やっぱり命はおしいとみえるね。」
「ウム、ざんねんながら、かぶとをぬいだよ。」
賊は、くやしそうにくちびるをかみながら、
「ところで、いったいきみは何者だね。この二十面相をこんなめにあわせるやつがあろうとは、おれも意外だったよ。後学のために名まえを教えてくれないか。」
「ハハハ……、おほめにあずかって、光栄のいたりだね。名まえかい。それはきみが牢屋へはいってからのおたのしみに残しておこう。おまわりさんが教えてくれることだろうよ。」
観音さまは、勝ちほこったようにいいながら、やっぱり、ピストルをかまえたまま、部屋の出口のほうへ、ジリジリとあとじさりをはじめました。
賊の巣くつはつきとめたし、ダイヤモンドはとりもどしたし、あとはぶじにこのあばらやを出て、付近の警察へかけこみさえすればよいのです。
この観音さまに変装した人物が何者であるかは、読者諸君、とっくにご承知でしょう。小林少年は怪盗二十面相を向こうにまわして、みごとな勝利をおさめたのです。そのうれしさは、どれほどでしたろう。どんなおとなもおよばぬ大手がらです。
ところが、彼が今、二―三歩で部屋を出ようとしていたとき、とつぜん、異様な笑い声がひびきわたりました。見ると、老人姿の二十面相が、おかしくてたまらぬというように、大口あいて笑っているのです。
ああ、読者諸君、まだ安心はできません。名にしおう怪盗のことです。負けたとみせて、そのじつ、どんな最後の切り札を残していないともかぎりません。
「おやっ、きさま、何がおかしいんだ。」
観音さまに化けた少年は、ギョッとしたように立ちどまって、ゆだんなく身がまえました。
「いや、しっけい、しっけい、きみがおとなのことばなんか使って、あんまりこまっちゃくれているもんだから、つい吹きだしてしまったんだよ。」
賊はやっと笑いやんで、答えるのでした。
「というのはね。おれはとうとう、きみの正体を見やぶってしまったからさ。この二十面相の裏をかいて、これほどの芸当のできるやつは、そうたんとはないからね。じつをいうと、おれはまっ先に明智小五郎を思いだした。
だが、そんなちっぽけな明智小五郎なんてありゃしないね。きみは子どもだ。明智流のやり方を会得した子どもといえば、ほかにはない。明智の少年助手の小林芳雄とかいったっけな。ハハハ……、どうだ、あたったろう。」
観音像に変装した小林少年は、賊の明察に、内心ギョッとしないではいられませんでした。しかし、よく考えてみれば、目的をはたしてしまった今、相手に名まえをさとられたところで、少しもおどろくことはないのです。
「名まえなんかどうだっていいが、お察しのとおりぼくは子どもにちがいないよ。だが、二十面相ともあろうものが、ぼくみたいな子どもにやっつけられたとあっては、少し名折れだねえ。ハハハ……。」
小林少年は負けないで応しゅうしました。
「坊や、かわいいねえ……。きさま、それで、この二十面相に勝ったつもりでいるのか。」
「負けおしみは、よしたまえ。せっかくぬすみだした仏像は生きて動きだすし、ダイヤモンドはとりかえされるし、それでもまだ負けないっていうのかい。」
「そうだよ。おれはけっして負けないよ。」
「で、どうしようっていうんだ!」
「こうしようというのさ!」
その声と同時に、小林少年は足の下の床板が、とつぜん消えてしまったように感じました。
ハッとからだが宙にういたかと思うと、そのつぎのしゅんかんには、目の前に火花が散って、からだのどこかが、おそろしい力でたたきつけられたような、はげしい痛みを感じたのです。
ああ、なんという不覚でしょう。ちょうどそのとき、彼が立っていた部分の床板が、おとしあなのしかけになっていて、賊の指がソッと壁のかくしボタンをおすと同時に、とめ金がはずれ、そこにまっくらな四角い地獄の口があいたのでした。
痛みにたえかねて、身動きもできず、暗やみの底にうつぶしている小林少年の耳に、はるか上のほうから、二十面相のこきみよげな嘲笑がひびいてきました。
「ハハハ……、おい坊や、さぞ痛かっただろう。気のどくだねえ。まあ、そこでゆっくり考えてみるがいい。きみの敵がどれほどの力を持っているかということをね。ハハハ……、この二十面相をやっつけるのには、きみはちっと年が若すぎたよ。ハハハ……。」