七つ道具
小林少年はほとんど二十分ほどのあいだ、地底の暗やみの中で、ついらくしたままの姿勢で、じっとしていました。ひどく腰を打ったものですから、痛さに身動きする気にもなれなかったのです。
そのまに、天井では、二十面相がさんざんあざけりのことばをなげかけておいて、おとしあなのふたをピッシャリしめてしまいました。もう助かる見こみはありません。永久のとりこです。もし賊がこのまま食事をあたえてくれないとしたら、だれひとり知るものもないあばらやの地下室でうえ死にしてしまわねばなりません。
年はもいかぬ少年の身で、このおそろしい境遇をどうたえしのぶことができましょう。たいていの少年ならば、さびしさとおそろしさに、絶望のあまりシクシクと泣きだしたことでありましょう。
しかし、小林少年は泣きもしなければ、絶望もしませんでした。彼はけなげにも、まだ、二十面相に負けたとは思っていなかったのです。
やっと腰の痛みがうすらぐと、少年がまず最初にしたことは、変装のやぶれ衣の下にかくして、肩からさげていた小さなズックのカバンに、ソッとさわってみることでした。
「ピッポちゃん、きみは、ぶじだったかい。」
みょうなことをいいながら、上からなでるようにしますと、カバンの中で何か小さなものが、ゴソゴソと動きました。
「ああ、ピッポちゃんは、どこも打たなかったんだね。おまえさえいてくれれば、ぼく、ちっともさびしくないよ。」
ピッポちゃんが、べつじょうなく生きていることをたしかめると、小林少年は、やみの中にすわって、その小カバンを肩からはずし、中から万年筆型の懐中電燈をとりだして、その光で、床に散らばっていた六つのダイヤモンドと、ピストルを拾いあつめ、それをカバンにおさめるついでに、その中のいろいろな品物を紛失していないかどうかを、念入りに点検するのでした。
そこには、少年探偵の七つ道具が、ちゃんとそろっていました。むかし、武蔵坊弁慶という豪傑は、あらゆる戦の道具を、すっかり背中にせおって歩いたのだそうですが、それを、「弁慶の七つ道具」といって、今に語りつたえられています。小林少年の「探偵七つ道具」は、そんな大きな武器ではなく、ひとまとめにして両手ににぎれるほどの小さなものばかりでしたが、その役にたつことは、けっして弁慶の七つ道具にもおとりはしなかったのです。
まず万年筆型懐中電燈。夜間の捜査事業には燈火が何よりもたいせつです。また、この懐中電燈は、ときに信号の役目をはたすこともできます。
それから、小型の万能ナイフ。これにはのこぎり、はさみ、きりなど、さまざまの刃物類が折りたたみになってついております。
それから、じょうぶな絹ひもで作ったなわばしご、これはたためば、てのひらにはいるほど小さくなってしまうのです。そのほか、やっぱり万年筆型の望遠鏡、時計、磁石、小型の手帳と鉛筆、さいぜん賊をおびやかした小型ピストルなどがおもなものでした。
いや、そのほかに、もう一つピッポちゃんのことをわすれてはなりません。懐中電燈に照らしだされたのを見ますと、それは一羽のハトでした。かわいいハトが身をちぢめて、カバンのべつの区画に、おとなしくじっとしていました。
「ピッポちゃん。きゅうくつだけれど、もう少しがまんするんだよ。こわいおじさんに見つかるとたいへんだからね。」
小林少年はそんなことをいって、頭をなでてやりますと、ハトのピッポちゃんは、そのことばがわかりでもしたように、クークーと鳴いて返事をしました。
ピッポちゃんは、少年探偵のマスコットでした。彼はこのマスコットといっしょにいさえすれば、どんな危難にあっても大じょうぶだという、信仰のようなものを持っていたのです。
そればかりではありません。このハトはマスコットとしてのほかに、まだ重大な役目を持っていました。探偵の仕事には、通信機関が何よりもたいせつです。そのためには、警察にはラジオをそなえた自動車がありますけれど、ざんねんながら私立探偵にはそういうものがないのです。
もし洋服の下へかくせるような小型ラジオ発信器があればいちばんいいのですが、そんなものは手にはいらないものですから、小林少年は伝書バトという、おもしろい手段を考えついたのでした。
いかにも子どもらしい思いつきでした。でも、子どものむじゃきな思いつきが、ときには、おとなをびっくりさせるような、効果をあらわすことがあるのです。
「ぼくのカバンの中に、ぼくのラジオも持っているし、それからぼくの飛行機も持っているんだ。」
小林少年は、さもとくいそうに、そんなひとりごとをいっていることがありました。なるほど、伝書バトはラジオでもあり、飛行機でもあるわけです。
さて、七つ道具の点検を終わりますと、彼は満足そうにカバンを衣の中にかくし、つぎには懐中電燈で、地下室のもようをしらべはじめました。
地下室は十畳敷きほどの広さで、四ほうコンクリートの壁につつまれた、以前は物置きにでも使われていたらしい部屋でした。どこかに階段があるはずだと思って、さがしてみますと、大きな木のはしごが、部屋のいっぽうの天井につりあげてあることがわかりました。出入り口をふさいだだけではたりないで、階段までとりあげてしまうとは、じつに用心ぶかいやり方といわねばなりません。このちょうしでは、地下室から逃げだすことなど思いもおよばないのです。
部屋のすみに一脚のこわれかかった長イスがおかれ、その上に一枚の古毛布がまるめてあるほかには、道具らしいものは何一品ありません。まるで牢獄のような感じです。
小林少年は、その長イスを見て、思いあたるところがありました。
「羽柴壮二君は、きっとこの地下室に監禁されていたんだ。そして、この長イスの上でねむったにちがいない。」
そう思うと、何かなつかしい感じがして、彼は長イスに近づき、クッションをおしてみたり、毛布をひろげてみたりするのでした。
「じゃ、ぼくもこのベッドでひとねむりするかな。」
大胆不敵の少年探偵は、そんなひとりごとをいって、長イスの上に、ゴロリと横になりました。
万事は夜が明けてからのことです。それまでにじゅうぶん鋭気をやしなっておかねばなりません。なるほど、理くつはそのとおりですが、このおそろしい境遇にあって、のんきにひとねむりするなんて、ふつうの少年には、とてもまねのできないことでした。
「ピッポちゃん、さあ、ねむろうよ。そして、おもしろい夢でもみようよ。」
小林少年は、ピッポちゃんのはいっているカバンを、だいじそうにだいて、やみの中に目をふさぎました。そしてまもなく、長イスの寝台の上から、すやすやと、さも安らかな少年の寝息が聞こえてくるのでした。