丸ビルの妖虫
しかし、鉄塔王国の怪人は、一度失敗したぐらいで、あきらめてしまうようなやつではありません。失敗すればするほど、しゅうねんぶかく、くいさがってくる、おそろしい、悪人です。
それから一週間ほどたった、ある朝のことです。東京駅のまえの丸ビルの中に、ギョッとするような事件がおこりました。
朝の六時を、すこしすぎたころでした。まだ会社員は、ひとりも姿を見せません。一階の通路の両がわの商店も、一けんも、店をひらいていません。大きなビルディングの中は、まるで、死んだ町のように、がらんとして、しずまりかえっていました。
その、ひとけのない、一階のひろい通路を、ひとりの小使さんらしい老人が、ほうきとバケツを持って、二階への階段の下まで、歩いてきました。そして、ふと階段を見あげたかとおもうと、電気にでもかかったように、ピッタリたちどまったまま、身うごきもできなくなってしまいました。目はとびだすほど、大きくなり、口はポカンとひらいて、まるで、あおざめたろう人形のような顔になってしまったのです。
それも、むりはありません。その階段の上には、世にもおそろしい、ばけものが、うごめいていたからです。
それは、人間ほどの大きさの、一ぴきの、まっ黒なカブトムシでした。そいつが、自動車のヘッドライトほどもある二つの目を、ランランと光らせ、するどい、ながいツノをふりたてて、ゴソゴソと、階段を、はいおりてくるではありませんか。
この妖虫は、いかめしい、ずうたいのわりには、おそろしく、ぶきようなやつです。エッチラオッチラ、まるで、よっぱらいのようなかっこうで、さも、なんぎらしく、階段をおりてくるのです。
そうして、二―三段、はいおりたかとおもうと、ズルッと、足をすべらせました。ぶきような大カブトムシは、そこで、ふみとどまる力もなく、そのまま、おそろしい、いきおいで、階段を、すべり落ちたのです。立ちすくんでいる小使さんの目の前へ、サーッと、落ちてきたのです。
「ヒャーッ……。」
小使さんは、なんともいえない、きみょうな、さけび声をたてて、その場に、しりもちを、ついてしまいました。
大きなビルには、いないように見えても、どこかに人がいるものです。このさけび声をきいて、そうじ婦だとか、とまりこみの会社員などが、ふたり、三人―五人と、どこからかかけつけてきました。
それらの人々も、通路にもがいている、異様な怪物を一目みると、やっぱり、まっさおになって、そこに立ちすくんでしまいました。
巨大なカブトムシは、階段から落ちたひょうしに、背中を下にして、あおむきになったのです。小さなカブトムシでも、一度、あおむきに、ひっくりかえると、なかなか起きなおれないものです。
まして、こんな大きなずうたいのやつですから、きゅうには、起きあがれないとみえて、みにくい腹をまる出しにして、長い足を、モガモガやりながら、ひどく苦しがっているのです。
しかし、その苦しがるようすが、じつに、おそろしいのでした。なめらかな、背中とはちがって、グシャグシャした腹のほうは、なんともいえない、いやらしい形です。それを見ていると、ゾーッとして、はぎしりがしたくなるほどです。
ところが、そのとき、またしても、じつに、ふしぎなことがおこったのです。妖虫の腹が、スーッとたてにわれてきたのです。そして、そのわれめが、だんだん、広くなって、その中から、なにか、べつのいきものが、はいだしてきたではありませんか。
それは、リンゴのように、つやつやしたほおの、ひとりの少年でした。大カブトムシの腹の中に、人間の子どもが、はいっていたのです。それが、腹をやぶって、びっくりしている人びとのまえに、姿を、あらわしたのです。