志摩の女王
東京のまん中にある有名なデパートで、宝石てんらん会がひらかれていました。そのデパートの美術部主任が大活動をして、日本じゅうの名のある宝石をかり集め、五階のてんらん会場に、きらびやかにちんれつしたのです。
むかしの華族や各地方の名家の、だいじにしている宝石類が、日本にもこんなに宝石があったのかと、おどろくほど集まったのです。宮さまからの出品もいくつかありました。
集まった宝石の中には、じつに、いろいろな美術品がありました。ダイヤモンドやルビーをちりばめた、ヨーロッパのある国の王冠、みごとなダイヤでふちかざりをした、イギリス製の置時計、サファイアをちりばめたの手箱などから、日本のまがたま、中国のの美しいさいくものなど、まるで、きらめく星にかこまれたようなちんれつ室でした。
そこに集まった宝石は、ぜんぶで何百億円というおそろしいねうちのもので、その中の一つでもなくなったり、ぬすまれたりしたら、たいへんですから、ちんれつ室には厳重なかこいをして、時間以外は出入り口にかぎをかけ、そのかぎは、デパートの美術主任が、はだみはなさず持っていることにしました。また、ちんれつ室のまわりには、もと警視庁のうでききの刑事だった人たち十人をたのんで、夜も昼も見はりをしてもらいました。
ちんれつ室へはいる客も、一時に五十人ときめて、あとの人は、部屋の入口に列をつくって、待ってもらうことにしました。ですから二つの出入り口だけでも、十人の店員が、立ち番をつとめていましたし、ちんれつ室の中にも、ガラスばりのちんれつ台二つにひとりのわりあいで、女店員が見はり番をしていました。
ちんれつ室の正面には、ひときわ大きなちんれつ棚がおかれ、そのガラスばりの中の黒ビロードのりっぱな台の上に、三つの宝物がならんでいました。左がわはダイヤをちりばめた置時計、右がわはダイヤとルビーの王冠、そして、そのまんなかには、高さ二十センチほどの、つぶよりの真珠を、何千と集めてこしらえた三重の宝塔が、月光殿のように、いぶし銀にかがやいていました。
この真珠塔は、三重県の有名な真珠王が出品した「志摩の女王」という、とてもりっぱでめずらしい品物で、今から二十年もまえに、東京でひらかれた大はくらん会に、出品するためにつくられたのですが、そのはくらん会で、フランスから日本まで遠征してきた怪盗アルセーヌ=ルパンが、この真珠塔をぬすみ出し、名探偵が、大冒険のすえに取りもどしたという、いわくつきのたからものでした。(そのお話は「黄金仮面」という本に書いています。)
東京都民は、新聞やラジオで、そのことを知っていましたので、この真珠塔「志摩の女王」は、ちんれつ室第一の人気ものとなり、人びとは、部屋にはいると、まず真珠塔をさがし、そのガラス箱の前に立って、美しい宝塔に見とれたまま、いつまでも動かないのでした。
ある朝のことです。デパートが、まだげんかんのを開いたばかりのころ、デパートの事務所へ、「志摩の女王」の出品者である有名な真珠王その人が、ひとりの若い背広の男をつれてたずねてきました。デパートではおどろいて、室に通し、支配人がもてなしをしました。
「きのう上京したので、おたずねしました。じつは、ちょっと、おねがいがあるのでね。」
和服すがたの真珠王は、八十歳の老人とは思われぬ元気な声で、にこにこしながら、いうのでした。
「はい、どういうご用でございましょうか。」
支配人が、うやうやしくたずねました。
「じつは、あの真珠塔の真珠が、ひとつぶだけきずになっているのです。出品をいそがれたので、ついそのまま出してしまいましたが、どうも気になってしかたがない。それで、こんど上京するのをさいわい、うでききの職人をつれてきました。これがという、わしの工場のだいじな職長です。これに、そのきずついた真珠を、とりかえさせようと思いましてね。……使いのものでも用はたりるが、わしがこないと、ご信用がないだろうと思ってね。じつは、わざわざ、出むいてきたわけです。」
「では、ここでおなおしくださるのですか。」
「そうです。この部屋で、あなたの目のまえで、なおさせます。ただ、真珠塔を、ここまで持ってくればよいのです。松村君、この支配人さんといっしょに、ちんれつ室へいって、塔をここへはこびなさい。」
そこで、支配人は、松村という真珠職人をつれて、五階のちんれつ室へいそぎました。
まだ大戸をひらいてまもなくですから、ちんれつ室には、客のすがたはひとりもなく、出入り口の番をする店員たちが立っているばかりです。支配人は店員たちに、
「ちょっと修繕をするので、真珠塔を貴賓室まで持ちだすから。」
とことわって、ポケットから出したかぎで、ガラスだなの戸をひらきました。
職長の松村は、そこから、ビロードのケースごと真珠塔をとりだし、だいじそうに両手にさげて、支配人といっしょにちんれつ室を出ました。
ふたりは、まだ客のまばらな五階の売り場を通りすぎ、大階段のところへきました。支配人はその階段を、下の貴賓室の方へおりていきます。あとにしたがった松村も、その方へおりるのかと見ていますと、かれはとつぜん、上へのぼる階段にかけより、あっと思うまにおそろしいはやさで、そこをかけあがっていくのです。支配人は、五―六段おりたところで、やっとそれに気づきました。
「あっ、松村さん、ちがう、ちがう、上じゃありません。こっちですよ。」
おどろいて五―六段上にもどって、うしろからよびかけましたが、松村はふりむきもしないで、もう上の階段をのぼりきって、かどをまがり、姿が見えなくなってしまいました。
「おうい、そっちじゃないというのに。」
支配人は顔色をかえて、松村を追って階段をかけのぼりました。しかし、あいては、じつにすばやくて、支配人が六階にのぼったときには、もう七階にいました。そこは屋上なのです。
「おうい、みんなきてくれ。真珠塔を持った人を、つかまえてくれ!」
どなりながら屋上に出ました。その声をききつけて、店員たちが集まってきます。五階の警戒にあたっていた元刑事たちも、おくればせにかけつけてきました。
支配人は屋上庭園に出て、キョロキョロとあたりを見まわしましたが、松村の姿は、どこにも見えません。
屋上も、まだ客はまばらでした。黒い背広すがたで、真珠塔の大きなケースをかかえている松村が、見つからないはずはないのです。店員や元刑事たちは、ひろい屋上を、あちこちと気ちがいのようにはしりまわり、人のかくれそうな場所は、のこりなくしらべました。しかし、松村の姿は発見されないのです。
「べつの階段から、下へにげたのじゃないか。そっちの階段をしらべてくれ!」
支配人が、声をからしてさけびました。
一団の店員が、その階段をかけおりていきます。そのとき、屋上にのこっていた、ひとりの店員の口から、とんきょうなさけび声がほとばしりました。
「あれっ、あすこだっ。あんなとこに、ぶらさがっている。」
店員は空を指さしていました。みんなの顔が、いっせいに、その方を見あげました。
ああ、なんという、はなれわざでしょう。松村は空中にかくれていたのです。みんな屋上庭園ばかりをさがしていて、まさか松村が、空に浮いていようとは、少しも気がつきませんでした。