動く毛がわ
あくる日の夕がたのことです。大学にかよっている書生のひとりが、部屋の見まわりをしていて、なにげなく絵画室へはいっていきました。さきにも書いたとおり、その広い絵画室の壁には、たくさんの日本画や西洋画がかけてあるのですが、それが、ことごとく豹の絵ばかりなのです。怪獣の事件がおこっているときですから、四方の壁から、たくさんの豹ににらまれると、ゾーッとうすきみ悪くなってきます。
部屋のまん中のガラスばりの陳列台は、からっぽになっていました。書生の大学生は、その中の豹のおきものが、どこかへかくされたことは聞いていましたが、そのかくし場所は知りません。でも、きのうまで、ガラスばりの中にあった銀のおりと金の豹が、かげも形もないのを見ると、なんだかへんな気もちです。かくされたことを、つい忘れてしまって、ひょっとしたら、怪獣が盗みだしていったのではないかと、どきんとするほどです。
その部屋の一方の壁に、大むかしの、どこかの寺院の杉の板戸が、一まいたててあります。むかしの名人がかいた豹の絵です。板戸いっぱいに、青みがかった岩山がかいてあり、一ぴきの巨大な豹が、岩の上に、前足をかけて、こちらをにらんでいる絵です。さすがに、名人の作だけあって、その豹は、まるで生きているようです。どこからながめても、自分がにらまれているように見えるのです。それでこの絵は八方にらみの豹と名づけられていました。
大学生は、遠くからその板戸の豹の絵をながめました。夕がたで、部屋の中は、うす暗いのですが、その絵だけが、浮きあがったように、はっきりと見えます。なにかギラギラと、目をいるように光っているのです。
「オヤッ、あの豹は金色をしていたはずはないのだが……。」
大学生は、ゾーッと背中に水をかけられたような気がしました。古い絵のことですから、ところどころ絵のぐがはげて、ぜんたいに、うすぼんやりしているのですが、きょうはそれがいやにくっきりと、しかも金色に光って見えるのです。
そればかりではありません。その金色に光った大きな豹が、もぞもぞと、身動きしたように、見えました。
ギョッとして立ちすくんでいると、たしかに、たしかに、豹は動いているのです。燐のように光る目が、こちらをにらみつけ、まっ赤な口を、カッと、開いたではありませんか。めくれあがった唇の中から、するどい牙が、ニューッとあらわれています。
大学生は、叫ぼうとしました。しかし、声が出ないのです。また、逃げだそうにも、足が動かないのです。
そのとき、豹の上半身がぐうッと板戸からぬけだしてきました。ああ、絵ではありません。生きているのです。生きた金色の豹なのです。
アッと思うまに、豹のからだは、すっかり板戸の外へぬけだしていました。まるで、飛びだし映画のように、ひょいと飛びだして、のそのそと、床を歩いてくるのです。板戸には豹の姿だけ、黒く穴があいています。
大学生は、いまにも、豹がとびかかってくるかと思いました。かみ殺されるのだと思いました。すると、やっと、死にものぐるいの声が出ました。
「ワアッ、たすけてくれえ……。」
そして、ころがるようにして、部屋の外へ逃げだしました。
その声を聞きつけて、もうひとりの大学生や、会社の社員などが、かけつけてきました。庭のほうにも、助造じいさんや、警官たちが集まってきました。つまり、板戸をぬけだした豹は、両方から、はさみうちになったわけです。
家の中の人たちは、手に手に、えものを持って、ドアから絵画室へとびこんでいきました。だれかがスイッチをおしたので、パッと、部屋のなかが明るくなりました。窓の外の庭には、警官たちが、ピストルをにぎってかけつけています。
そうして、みんなで豹をさがしたのですが、怪獣はどこにもおりません。またしても、煙のように消えうせてしまったのです。
大学生が、まぼろしを見たのではないのです。板戸には、豹のぬけだしたところだけ、えぐりとったように穴があいていました。これがなによりの証拠です。豹は、たしかにぬけだしたのです。そして、大学生が、助けをもとめている、わずかのあいだに、いつもの忍術で、消えてしまったのです。
しかし、絵にかいた豹が、生きて動きだすなんて、そんなことがおこるはずはありません。怪獣の奇術です。あらかじめ板戸の絵のところをくりぬいておいて、黄金豹がその穴に、からだをあわせて、まるで絵のように、じっとしていたのでしょう。
そして、大学生がはいってきたときに、そこからぬけだしてみせたのでしょう。おどかしです。「おれは、こんなにやすやすと、部屋の中へはいってこられるのだぞ。絵にでもなんにでも化けることができるのだぞ。」というおどかしです。そして、みんなの気もちをみだしておいて、うろたえさわいでいるすきに、純金の豹を盗みだそうという下心ではないでしょうか。
園田さんは、その手にかかってはたいへんだと思いました。それで、みんなを寝室によびよせ、けっしてうろたえないで、いよいよ見はりを厳重にするようにいいわたし、じぶんは、やっぱり寝室にがんばりつづけることにしました。
すると、そのあくる日の朝のことです。またしても、恐ろしい事件がおこりました。
その朝、武夫君は学校へいくまえに、おとうさんのいいつけで、応接室においてあった西洋の本をとりにいきました。
広い、りっぱな応接室です。丸テーブルをかこんで、大きな安楽イスや、長イスがならんでいます。床には、じゅうたんを敷きつめ、その上に、おとうさんのすきな豹の毛がわが、いくまいもおいてあるのです。長イスの上にも、大きな豹の毛がわがかけてあります。毛がわには四本の足と、しっぽがあり、頭だけは、はく製になっていて、まるで生きているようです。目にはガラスをはめ、口には牙をうえ、耳がぴんと立ち、いまにも、ウオーッとほえるのではないかと思われるほど、よくできています。
長イスの上にかけてある毛がわの頭は、ひじかけの外がわに、がくんとたれていました。はく製の頭がイスの中にあっては、こしかけるじゃまになるからです。
武夫君が、その応接室にはいって、いいつけられた本を持って、入口のドアの方へ、歩いていたときです。長イスのはしにたれさがっていた、はく製の豹の頭が、スーッと動いたような気がしました。
「オヤッ。」と思って立ちどまって、その方を見ますと、たしかに豹の頭が動いているのです。気のせいかと思いましたが、どうもそうではなさそうです。すこしずつ、すこしずつ、たれていた豹の頭が上のほうへもちあがっているのです。
武夫君はギョッとして、部屋のすみまで逃げだしましたが、しかし、ドアの外へは出ません。ひとつの安楽イスのかげに身をかくし、目だけを出して、じっと長イスの方を見つめました。きのうの絵画室と同じような異変が、この部屋でもおこるのではないかと思ったからです。武夫君は少年探偵団の副団長ですから、年はすくないけれども、大学生より勇気があります。すると、長イスの上には、武夫君が想像したとおりのことが、おこってきたのです。
はく製の豹の頭が、しゃんとしました。それから、ぺちゃんこの毛がわの肩と、前足が、むくむくとふくれてきて、生きた豹の姿になりました。
つぎは腹、つぎは尻と、だんだんにふくれあがり、あと足にも、ぴんと力がはいって、それはもう、生きた一ぴきの豹にかわっていました。ぺちゃんこの毛がわが、四本の足で、ヌーッと立ちあがったのです。
そして、いきなり長イスの上からとびおりると、ガッと、まっ赤な口を開いて、
「ウオーッ。」
と、恐ろしい声をたてました。