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影男-最后的商品(2)
日期:2022-02-16 17:49  点击:315

 パノラマ館はガス・タンクのような円形の建物でした。入り口をはいると、暗いトンネルのような地下道があって、そこをくぐり抜けて階段を上がると、われわれの目から、この東京という現実の世界がまったく消えうせて、そこに別の一つの世界が出現します。地下道から階段を上がったところは、島のようになった狭い見物席です。そこが円形の建物の中心なのです。見物は暗い地下道を通っているあいだに、現実世界と絶縁します。そして、階段を上がって、パッと眼界がひらけたとき、そこに広漠(こうばく)たる別の世界があるのです。東京の現実の町を無視して、見渡すかぎりの大平原や大海原(おおうなばら)があるのです。小さなパノラマ館の建物の中に無限の空が広がり、はるかに地平線がつづいているのです。
 明治時代の日本のパノラマ館は、多くは満州などの戦争のけしきを現わしていました。暗道を出て、パッと眼界がひらけると、そこに満州の広野が無限のかなたまでひろがっていました。かなたの丘には敵の要塞(ようさい)があり、すぐ目の前には日本軍の野砲の列、兵士が砲弾を運び、砲口は火を吹き、煙を吐いています。それが敵の要塞に命中し、そこに火災がおこっています。日本軍の歩兵隊は、砲火の援護をうけて、要塞の丘に進軍し、敵兵団はこれを阻止しようと丘から駆けくだって、そこに白兵戦が起こっています。騎馬の指揮官は縦横にはせまわり、銃剣で刺される兵士、長剣で首をはねられ、その首が中天に舞い上がっている光景、岩石を吹きとばす地雷の爆発、空一面に炸裂(さくれつ)する敵味方の砲火、何千という軍人が、見物の目の前で悽惨(せいさん)な戦いをつづけているのです。
 小さな円形建物の中に、どうしてそんな大戦場が実現するのか。それには、パノラマ発明者の巧緻(こうち)なまやかしがあるのです。この光景のバックは円形建物の壁です。そこに真に迫った油絵の風景を描くのです。地平線から上の空は、建物の丸天井につらなり、そこにも青空と雲とが描かれています。見物は、場内のどちらを向いても、地平線がつづいています。そして、頭の上には無限に見える大空がひろがっているのです。
 そのころはまだ電灯照明を使うことがむずかしかったので、建物の天井にあかりとりの窓をあけなければなりません。そのあかりとりのガラス窓を隠すために、見物席のすぐ上に、(かさ)のような小屋根を作ったものです。見物にその小屋根の上は見えませんので、建物のドームの空を、少しの裂けめもない真実の大空と錯覚しました。
 戦場の数千人の軍人たちのうち、何十かが実物大の生き人形でした。生き人形というのも、今では見られなくなりましたが、明治時代にはそれの名人がいたそうです。キリの木に細かい彫刻をして、胡粉(ごふん)を塗り、みがきをかけて、人はだそっくりの人形を作ったのです。ですから、パノラマ館の人物どもは、ほんとうに生きているように見えたのです。地面にはほんとうの土を敷き、ほんものの樹木を植え、そこに生き人形の人物を配し、それと背景の油絵との境めを巧みにごまかして、絵にかいた人物も、やはり立体的な生き人形と差別がつかぬようにしたのです。ほんものの土と、油絵の土とが、そっくり同じに見えるくふうをしたのです。このくふうによって、狭い円形建物の内部が無限の広野に見え、数十体の生き人形が、油絵の人物と混淆(こんこう)して、数千人の大軍団に見えたのです。
 わたくしは、書物によって、そういうパノラマ館の秘密を知りました。そして、このすばらしい原理を応用して、地底に無限の別世界を創造しようと考えたのです。世界のどこのパノラマ館にもなかったような、美の極致を実現したいと念願したのです。そして、四年の歳月と、一億の資金を費やして、それをなしとげました。わたくしは、密貿易によって、一億以上の資産をかせぎためておりました。それをことごとく使いはたしたのです。
 これでもうおわかりでございましょう……さきほど、あなたさまがごらんになった無限の大洋は、さし渡し十間あまりの円形パノラマにすぎなかったのです。地底に円形の空洞(くうどう)を作り、その円形の周囲と天井とに、巨大なカンバスを張りつめ、空と海との油絵を描かせたのです。あなたさまの頭の上に、小さな丸い屋根のあったことをご記憶でございましょう。あの上にすべての照明が隠されていたのです。明治時代とちがって、今は自由に電力を使うことができます。ガラス張りのあかりとりなどは、少しも必要がないのです。

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09/29 19:31
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