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影男-恋人誘拐業(1)
日期:2022-02-16 17:50  点击:229

恋人誘拐業


 影男にとっては、今まで見た驚くべき風景だけでも、むしろ安いものに思われたのだが、ちょびひげ紳士は、あんなものは景物にすぎない。五十万は実はこの恋人誘拐(ゆうかい)の謝礼に引きあてるのだと、サービスぶりを発揮する。
 だが、相手が悪かった。名にし負う影男には、「高嶺(たかね)の花」なんていうものはなかった。かれの字引きには「不可能」という文字がないのだから、どんな女性だって、手に入れようと思えば、必ず手に入れる力を持っていた。また、事実、手にも入れていた。かれはサルタンの後宮にも比すべき数十人の恋人があった。電話一本で、いつでもはせ参ずる美姫(びき)の群れを所有していた。そのなかには、普通では絶対に近よることもできないような、高貴、高名の異性も幾人か交じっていた。
「恋人誘拐引き受け業とはおもしろいですね。それなら、五十万は実にやすいもんだ。どんなむずかしい相手でも、即座に誘拐してみせるというのですからね。せっかくですが、ぼくにはその必要がない。ぼくは自分でやるほうがおもしろい。そして、必ずやってみせる技術を持っているのです。だから、実際に誘拐してくださるには及びません。お話が伺いたい。あなたのやり方が聞きたい。それだけでいいのです。つまり、五十万円の権利を放棄する代わりに、最もおもしろそうな実例を一、二お聞かせねがいたいというわけですよ」
 影男の恬淡(てんたん)ぶりが、ちょびひげ紳士をびっくりさせた。かれは西洋流に両手を横に広げるゼスチュアをしてみせて、
「これは驚きましたな。わたくしは、あなたさまのお名まえも存じあげませんが、それほどにおっしゃるところをみますと、あなたさまは、その道の大先達でいらっしゃる。もうお話し申しあげるまでもありますまい。とっくにお察しでございましょう」
「なるほど、これはあなたの秘密かもしれませんね。秘密をしゃべってしまっては、五十万円のねうちがなくなる」
「いや、いや、けっして話しおしみするわけではございません。なにごともあけすけに申し上げて、赤心を人の腹中におくというのがわたくしのやり方で、悪事はこれにかぎりますよ。コソコソとないしょごとをやるのは、いわばしろうとでございますからね」
「えらい。やっぱり、あなたとは友だちになりたい。どうです、友だちになってくれますか」
「光栄のいたりです。わたくしのほうからお願いしたいと考えていたところでございます。先生、お手を、ね、お手を!」
 ふたりは手を握りあった。ちょびひげの手は女のように白くて、きめがこまかくて、暖かかった。
「では、ぼくからいってみましょうか。あなたの恋人誘拐の秘密を」
「エッ、あなたさまから?」
「いや、具体的にではありません。その骨法をですね」
「はい、伺いましょう。これは聞きものです」
「西洋にこういうおとぎばなしがあります。万能の知恵者がありましてね、王様がお出しになる難題を、次々とやってのけるのです。まったく不可能なことをやってみせるのです。そこで、王様は、ご自分がその上に寝ておられるベッドのシーツを一晩のうちに盗み出してみよ、と仰せになった。すると、知恵者は、女官をぐるにして、お台所でカレーのような黄色いどろどろの液体を作らせ、それをそっと王様のシーツの上にたらさせておいたのです。王様は夜中に目をさまして、腰のあたりがべっとりしているので、驚いてお調べになると、黄色いどろどろです。や、とんだしくじりをやった、臭い臭いと、鼻をつまんで、そのシーツを丸め、窓の外へほうり出された。知恵者はそれを拾って、翌朝、はい、このとおりと、王様にお目にかけるというわけです。すべてこの手ですね。つまり、先方の弱点をつくのです。恋人誘拐の場合は、主として相手の好奇心に訴えるのです。こちらを主人公にしないで、先方を主人公にして、先方から謝礼さえ取れる場合もあるわけですね」
 ちょびひげはこれを聞くと、はたとひざをたたいた。

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