影男のまっくらな心眼の中を、あらゆる過去の映像が、めまぐるしく駆けめぐった。
「ウ、ウ……もっと、もっと、ふんづけてくれい。ふんづけて、ふみ殺してくれい」
……美女の足は、ダブダブと肥え太った獅子男のからだじゅうを、まるで臼の中のもちを踏むように踏みつづける。そのたびに、男の口から、けだものの咆哮に似た恐ろしいうめき声がほとばしった……足ばかりではない。男の顔の上へ、二つの丸いだんだら染めのおしりが、はずみをつけて落ちていき、そのまま男の顔をふたしてしまった。
……女が足を抜こうとして、一方の足に力を入れると、その足がさらに深く吸いこまれた。もがけばもがくほど、ぐんぐん足がはまりこんでいく……もうももまで没していた。スカートがフワリと、水に浮いたように、どろの上に開いている。彼女は美しい女の一寸法師に見えた。スカートが浮いているので、ももから上だけの人間のように見えた……もう胸まで沈んでいた。もう首まで沈んでいた。首のまわりを、スカートが、石地蔵のよだれかけのように取りまいていた。徐々に、徐々に、口、鼻、目と沈んでいった。目が沈むときが最も恐ろしかった……もう髪の毛も隠れ、さし上げた両手だけが残っていた。それが白い二匹の小動物のように、地上をもがいていた。凄惨な踊りを踊っていた。
……最後に手首だけが地上に残り、五本の足のカニのように、どろの上をはいまわった。その手首も消えさると、しばらくは砂まじりのどろの表面が、ブクブクとあわだっていたが、やがて、それも、なにごともなかったように、静まり返ってしまった。
……その山には無数の目と、無数のくちびると、無数の手と足とがあることがわかってきた。顔の上に太ももが重なり、なめらかなかっこうのよいおしりが無数に露出していた。それは幾千幾万とも知れぬ裸女を積み重ねた生きた人肉の山であった。
……かれは女体の山をのぼった。二つの女体がちょっと身動きしたかと思うと、そのあいだにみぞができ、かれの足がそのみぞにはまった。それと同時に、あたりの女体が、グラグラとゆれ動き、みぞはいよいよ大きく口をひらいて、かれのからだは人肉の底なし沼に没していった。前後、左右、上下のあらゆる面にすべっこくて柔らかい裸女の曲面がつらなっていた。かれの黒ビロードのからだは、それらの弾力ある曲面に押しつぶされながら、底知れぬ深みへと吸いこまれていった。脂粉と、芳香と、甘い触感の底へ、深く深く吸いこまれていった。
……音楽も、踊りも、狂暴の絶頂に達した。
……白い女体は、こけつまろびつ逃げまわり、寸隙を見ては、疾風のように男に飛びかかっていった。二本の短剣は空中に切り結び、いなずまのようにギラギラとひらめき、男体、女体ともに、腕にも、乳ぶさにも、腰にも、しりにも、ももにも、全身のあらゆる個所に無数の赤い傷がつき、そこから流れ出すあざやかな血潮が、舞踊につれて、あるいは斜めに、あるいは横に、あるいは縦に、流れ流れて美しい網目をつくり、ふたりの全身をおおいつくしてしまった。
……樹木にかこまれた十坪ほどのあき地、そこにはえているのは二、三寸の短い雑草ばかりだったが、そのあいだに、二つの丸い大きな石ころがころがっていた。その石ころが、生きもののように、かすかに動いていた。石ころには、目と、鼻と、口とがあった。一つは男の顔、一つは女の顔をしていた。二つの首は一間ほどへだてて向かいあっていた。不思議な地上の獄門であった。切断された二つの首が、そこにさらしものになっているのかと思われたが、よく見るとそうではなかった。それは生き埋めであった。姦夫姦婦を裸にして、庭にうずめたのであった。
からだがおそろしくゆれていた。地震にちがいないとおもった。逃げようとしたが、足が動かなかった。
「助けてくれ……」
死にものぐるいに叫んだ。パッと目がひらいた。それは地震ではなくて、車がゆれているのだった。ぐったりとうしろにもたれかけていたからだを起こした。すぐ前に三人の制服警官が並んで腰かけていた。そのまんなかのは、見覚えのある中村警部だった。みんな腰にピストルをさげていた。
広い車だった。両側に堅い長イスがあって、三人ずつ向かいあっていた。手が痛い。見ると、手錠がはまっていた。右となりにちょこんと腰かけている男にも見覚えがあった。殺人会社の専務、須原だった。かれも手錠をはめられていた。左どなりのまるまっちい色白の男も知っていた。ちょびひげをはやしていた。地底パノラマ王国の持ち主だ。かれも手錠をはめられていた。
「ははあ、これは罪人護送のバスだな」
影男は夢からさめたように、やっとそこへ気づいて、となりの小男須原と目を見合わせた。須原はニヤッと笑った。こちらもニヤッと笑って見せた。
「気がついたようだね。きみたちは谷底で眠っていた。車まで運ぶのに、ずいぶんほねがおれたよ」
中村警部が柔和な顔でいった。
「で、ぼくたちは、これから警視庁へ行くんですか」
「そうだよ。きみたちも、もう年貢の納めどきだからね」
鉄棒のはまった小さな窓のむこうに、運転手の制服巡査の背中が見えていた。普通のバスのような窓がないので、町を見ることはできなかった。お互いに顔見合わせているほかはなかった。
三人の犯罪者は、殺風景な留置室を頭に描いていた。それから刑務所の光景が浮かんできた。影男とちょびひげはそれ以上のことは考えなかったが、小男の須原だけは、絞首台を幻想していた。ブランとさがった、あのいやなかたちが、かれの心臓のあたりをフワフワ漂っていた。考えてみると、二十数名の委託殺人をやっている。死刑はまぬがれないな。共同経営者のふたりの重役も、むろん同罪だろう。かれらもじきにつかまるにきまっている。
希代の異常犯罪者三人三様の思いをのせて、バスはもう、警視庁の赤レンガの見えるお堀端にさしかかっていた。
(『面白倶楽部』昭和三十年一月号~十二号連載)