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犬神家族-第二章 斧.琴.菊(8)
日期:2022-05-31 23:58  点击:325
「佐兵衛翁のおとしだねなんです」
金田一耕助は、突然、大きく眉をつりあげた。
「おとしだね……?」
「そうです。佐兵衛翁にとっては、たったひとりの男の子だったのです」
「しかし、……しかし……それじゃなぜ……いや、そのことは『犬神佐兵衛伝』にも書い
てありませんでしたよ」
「そうですとも、そのことを書こうとすれば、いきおい、松子、竹子、梅子の三夫人の残
忍な非行をあばかねばなりませんからね。佐兵衛翁は……」
と、古館弁護士は、まるで|暗誦《あんしょう》でもするように、抑揚のない声で語り
はじめる。
「五十を越えた初老の年輩にいたって、はじめて恋をしたのです。佐兵衛翁はそれまでに、
三人の側室があり、それぞれの腹に、松子、竹子、梅子の三人を生ませたが、翁はそれら
の側室のだれをも、とくべつ|寵愛《ちょうあい》していたわけではなかった。ただ、生
理的要求をみたすために、彼女たちに用を弁じさせていたのです。ところが五十を越えて
はじめて、ほんとうに女を愛した。それが青沼|菊《きく》|乃《の》という女性で、も
とは犬神製糸工場の女工だったということです。年齢は娘の松子夫人より、若かったとい
われています。ところが、そうこうしているうちに、菊乃という女性がみごもった。そこ
で大恐慌をきたしたのが、松、竹、梅の三人娘です。いったい、あの三人は生母がちがっ
ているだけに、幼いころから、けっして仲のよい姉妹ではなかった。いや、仲がよいどこ
ろか、終始|仇敵《きゅうてき》のようにいがみあいつづけてきた仲なのです。それが、
菊乃の件に関するかぎり、スクラム組んで、しっかり一致結束したのです。つまりそれほ
ど、菊乃の妊娠は、かれらにとって大きな恐慌だったのですね」
「なぜでしょう。菊乃が妊娠すると、なぜいけないのです」
古館弁護士はくたびれたような微笑をうかべて、
「きまってるじゃありませんか。もし、菊乃の腹に生まれるのが男子だったら……佐兵衛
翁は菊乃におぼれきっているのだし、それがいままで望んで得られなかった男子を生むと
すれば、佐兵衛翁ははじめて正室をもつことになるかもしれない。そして犬神家の全財産
はその子にとられるかもしれぬ……」
「なるほど」
金田一耕助は内心の戦慄を押しつつみながら、大きくゆったりとうなずいた。
「そこで三人は一致結束して、菊乃をいじめたのです。いびったのです。それは実に言語
道断の方法で、はげしい攻撃の手を加えたということです。菊乃はとうとうたまらなくな
った。このままでいけば、やがて三人の娘にいびり殺されるだろうと思った。そこで、佐
兵衛翁のもとを、逃げ出してしまったのです。松、竹、梅の三人は、それでほっとしまし
たが、菊乃が逃げたあとでわかったところによると、佐兵衛翁はそのまえに、|斧《よき》、
琴、菊の三種の家宝を、菊乃に与えていたというのです」
「ああ、それそれ……その斧、琴、菊というのはいったいなんですか」
「いや、そのことはもっとあとで話しますが、遺言状にもあったとおり、それこそ犬神家
の相続権を意味する家宝なのですが、これを佐兵衛翁が菊乃に与え、もし、男子出生した
ら、これをもって名乗って出てこいといいふくめておいたというのだから、三人がいよい
よ大恐慌をきたしたのも無理はありません。しかも、そのやさきに菊乃が無事に男子を|
分《ぶん》|娩《べん》したといううわさをきいたものだからたまらない。三人は悪鬼の
ごとく菊乃のもとへ乗りこんでいったのです。そしてまだ|産褥《さんじょく》にある菊
乃を脅迫して、自分の産んだ子は、佐兵衛翁のタネではないという一札を無理矢理に入れ
させ、それとともに、斧、琴、菊の三種の家宝をとりかえし、意気揚々とひきあげたとい
うのです。佐兵衛翁が晚年にいたって、松、竹、梅の三人に、氷のように冷たかったのは、
実にこのことがあったからなのですよ」
金田一耕助はいまあらためて、松子、竹子、梅子の底意地の悪そうな|風《ふう》|貌
《ぼう》を思い出してみる。あの女たちのいまだ若く|悍《かん》|馬《ば》のごとき時
代を思うと、なにかしら、ゾッと肌に、|粟《あわ》|粒《つぶ》が立つような思いであ
った。
「なるほど……それで菊乃親子はどうしました」
「さあ、それです。そのときの松、竹、梅の恐ろしさが、よほど心魂に徹したのでしょう
ねえ。あのような一札は入れたものの、まだこのうえ、どんな危害を加えられるかもしれ
ないと、赤ん坊――それが静馬なのですが――を抱いたまま行方をくらましてしまったの
です。そして、いまにいたるもこの親子の消息は、|杳《よう》としてわからないのです
よ。生きていれば静馬は、佐清と同い年の二十九歳になるはずですがねえ」
古館弁護士はそこまで語ると、ほっと暗いため息をつくのである。
金田一耕助の胸には、暗雲のように|妖《あや》しい思いが、ふっとドス黒い影を落と
す。
ああ、犬神佐兵衛翁の遺言状は、はじめから、ある種の恐ろしい目的をもって書かれた
のではあるまいか。翁はおのれ百年ののち、松子、竹子、梅子の三人のあいだに血で血を
洗うような葛藤の、起こることをのぞんでわざとあのような奇怪な遺言状をつくったので
はなかろうか。
金田一耕助は、胸もふさがりそうな暗い思いに、しばらくおしつぶされそうに考えこん
でいたが、やがて紙と万年筆をとり出すと、次のようなメモを書きしるした。
金田一耕助はこの系図のなかから、なにかを探り出そうとするかのように、長い長い間
じっと紙面を見つめている。
読者諸君よ、いままで述べてきたところが、このもの恐ろしい、なんともえたいの知れ
ぬ犬神家の一族に起こった、連続殺人事件の発端なのである。
そして、いままさに血なまぐさい惨劇の第一幕は、切って落とされようとしている。
※ここに系図の画像?
疑問の猿蔵
犬神佐兵衛翁のあの奇妙な遺言状は、|貪《どん》|婪《らん》なジャーナリズムにと
って、|俄《が》|然《ぜん》、好個の話題となったようだ。
遺言状の内容と、それを|囲繞《いじょう》する犬神家の一族の、冷たい葛藤に関する|
顛《てん》|末《まつ》は、某通信社を通して、全国の新聞にバラまかれた。
さすがに一流新聞は、そういう個人の私事に関する記事を扱うことは好まなかったが、
二流三流の新聞は、こぞってこの記事を大々的に取り扱った。しかも、かなり猟奇的な曲
筆をもって……。
だから、犬神家の相続問題は、いまや、地方的な関心事ではなくて、全国的な話題とな
って拡大していた。ちょっとでも、好奇心に富んだひとなら、野々宮珠世が、果たしてな
にびとを、配偶者にえらぶかということについて、野次馬的な興味をよせていた。なかに
はそれについて、|賭《か》けをやっている者さえあるという。
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