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犬神家族-第四章 捨て小舟(2)
日期:2022-05-31 23:59  点击:250
「一時間ですね」
「ええ、一時間したら、ここへ御報告にあがります」
「そうですか。それでは皆さん、一時間たったらもう一度、この座敷へお集まりを願いま
しょう。署長さん、古館さん、それから金田一さん。向こうに食事の用意をさせておきま
したから。では、佐清……」
松子夫人は、仮面の佐清の手をとって立ちあがった。
そのあとから一同、思い思いの顔色で、それぞれ座敷を出ていった。署長はほっとした
ような顔色で、
「さあ、これでこのほうはすんだと。緊張したせいか、少し腹がへったよ。古館さん、金
田一君、遠慮なしにごちそうになろうじゃないか」
女中の案内で、別室へさがって、食事をすませたところへ、ズブぬれになった刑事がふ
たり、あわただしい足どりでかえってきた。さっきボートをさがしにいったふたりである。
「署長さん、ちょっと……」
「やあ御苦労御苦労、腹がへったろう。用意ができているから、きみたちもごちそうにな
りたまえ」
「はあ、いただきますが、そのまえにちょっと見ていただきたいものがありまして。……」
刑事の顔色からすると、なにごとかを発見したらしい。
「ああ、そうか、よしよし。金田一さん、あんたもどうぞ」
嵐はいよいよ勢いをまして、ものすごい雨が横なぐりに降っている。そのなかを、傘を
かしげてついていくと、刑事が案内していったのは、例の水門口である。見るとそこに綱
でつないだボートが二|艘《そう》、木の葉のように波にもまれてうかんでいる。あとのボ
ートには大きな帆布がかけてあった。
「ああ、ボートを見つけたんだね」
「はあ、下那須の|観音岬《かんのんみさき》のそばに、乗りすててあったのを見つけて
ひいてきたんです。ちょうどいいあんばいでした。もう少し発見がおくれたら、この雨で、
大切な証拠が流れてしまうところでした」
刑事のひとりがまえのボートに乗りうつり、綱をひいてあとのボートをたぐり寄せると、
かけてあった帆布をとりのけたが、そのとたん、署長と金田一耕助は、思わず大きく眼を
見はったのである。
ボートのなかは、恐ろしい血だまりなのである。そこら一面べたべたとどすぐろい血が
こびりついて、底のほうには無気味に光る液体が、一種の重量感をもって、ずっしりとた
まっている。
署長と金田一耕助は、しばらく息をのんで、この恐ろしい液体を見つめていたが、やが
て署長が、ギゴチない空咳をしながら、耕助のほうをふりかえった。
「金田一さん、これはあなたの負けでしたな。犯人はやっぱりこのボートで、首無し死体
を運び出したのですよ」
耕助はまだ、夢を追うような眼つきで、ぼんやりと雨に打たれる|血《ち》|糊《のり》
を見つめながら、
「そうですね。こんなたしかな証拠があっちゃ、これはぼくの負けですな。しかし、署長
さん」
耕助は急に熱っぽい眼つきになって、
「犯人はなぜ、そんなまねをしなきゃならなかったんでしょう。ああして首を麗々しく菊
人形の上にかざっておきながら、胴のほうをなぜ、かくさなければならなかったんでしょ
う。そいつはずいぶん、危険な話だと思うんだが。……」
「それはわたしにもわからない。しかし、こうしてボートで運び出したことがわかった以
上、こりゃどうしても湖水のなかをさらえてみなきゃわからない。きみ、きみ、御苦労だ
が食事がすんだら、さっそくその準備をしてくれたまえ」
「は、承知しました。ところで署長さん、ちょっと妙な聞きこみがあったんですがね」
「妙な聞きこみ?」
「はあ、それについて沢井君が、証人をつれてくることになっているんですが……ああ、
そこへ来ましたよ」
降りしきる雨のなかを、刑事につれられてやってきたのは、四十前後のめくら|縞《じ
ま》の着物に、紺の前垂れといういでたちの男であった。刑事の紹介によるとその男は、
下那須で|柏屋《かしわや》という旅館――というより|旅《はた》|籠《ご》|屋《や》
といったほうがふさわしい、低級な宿を経営している人物で、名前を|志《し》|摩《ま》
久平という。
那須市はいまでこそ市になっているが、十年ほどまえは、上那須と下那須とにわかれて
いて、犬神家のあるのは上那須のはずれだが、そこから半里ばかり家並みがとぎれて、そ
の向こうに、下那須の町が湖沿いにひろがっているのである。
さて、柏屋の亭主、志摩久平が語るところによると、
「さっきも刑事さんにお話ししたんですが、実は昨夜、わたしどものほうに、妙な客があ
りまして……」
その客はあきらかに復員者であった。軍隊服を着て、兵隊|靴《ぐつ》をはき、肩にで
れんと|雑《ざつ》|嚢《のう》をかけていた。そこまでは別に変わったところもなかっ
たが、ただ妙なことにはその男、|眉《まゆ》もかくれんばかりに戦闘帽をまぶかにかぶ
り、襟巻きをふかぶかと、鼻の上まで巻いているので、顔のうちで見える部分といっては、
ふたつの眼だけなのである。
しかし、そのときは、亭主も女中も、別にふかくも怪しまず、求められるままに一室を
提供すると、晚の食事をはこんだ。ただ、食事をはこんでいった女中が、帳場へかえって
きて報告するのに、
「旦那、どうもあの客は妙ですよ。部屋へ入っても襟巻きをとらないで、お給仕をしよう
というと、あっちへ行っててくれというんです。顔を見られたくないらしいんですよ」
女中の話に、かるい不安をおぼえた亭主の久平が、宿帳を持っていくと、食事を終わっ
たその男は、またきちんと帽子をかぶり、襟巻きをふかぶかと顔に巻いていた。しかしそ
のほかに別にかわったところもなく、亭主が宿帳を出すと、
「きみ、書いてくれたまえ」
と、口述したのが、
「これなんですがね」
と、亭主の出してみせた宿帳には、
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東京都|麹町《こうじまち》区三番町二十一番地、無職、山田三平、三十歳
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