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犬神家族-第六章 琴の糸(7)
日期:2022-05-31 23:59  点击:234
梅子は|夜《や》|叉《しゃ》のように|猛《たけ》りくるって、その他さまざまな恐
ろしい刑罰をならべ立てたのち、やがてさめざめと泣き出した。そして、泣いているうち
に、いくらか心が落ち着いたのか、泣きじゃくりをしながら、吉井刑事に向かってこんな
ことをいったというのである。
「ねえ刑事さん、あなたも先代の遺言状のことはご存じでしょう。あの遺言状さえなけれ
ば、松子のせがれの佐清が、犬神家の相続人になれたのです。松子もそのつもりで、そう
なったら自分は佐清の|後《うし》ろ|楯《だて》になって、尼将軍みたいに威勢をふる
うつもりだったんです。ところが、どうでしょう。お父さんの遺言状のおかげで松子のや
つは、すっかり目算がはずれてしまった。犬神家の相続人になるためには、珠世と夫婦に
ならなければならない。ところがどうでしょう、自分のせがれの佐清は、クチャクチャに
顔がくずれて、|柘《ざく》|榴《ろ》みたいに赤くはじけて……ああ、いやらしい、思
い出してもゾッとするわ。珠世がいかに物好きでも、なんでそんな化け物をお婿さんにす
るもんですか。それですからこの婿選びの競争では、はじめから佐清は負けにきまってい
るんです。松子のやつはそれがくやしくて、まずは佐武さんを殺し、それからうちのせが
れの佐智を殺したんです。こうして二人を殺してしまえば、いやでも珠世はあの化け物と
夫婦になるにきまっています。もしまた珠世がいやだといえば、相続権がなくなるわけで
すから、そのときこそは佐清が、犬神家の全財産をひとりじめにすることができるんです。
ああ、悪人、悪人、大悪人の松子め! 刑事さん、あいつをつかまえてください。松子の
やつをつかまえてください」
梅子はしだいに言いつのってきたが、そのとき吉井刑事が思い出したように、佐智の死
因は絞殺であり、犯人は佐智を絞殺したのちに、どういうわけかその首に、琴の糸を巻き
つけていったと報告すると、梅子はびっくりしたように眼を見はった。そして、
「琴の糸ですって?」
と、とまどいしたような眼つきになって、
「琴の糸で絞め殺されたのですか」
と、ぼんやりきき返した。
「いいえ、そうじゃないんです。絞め殺したのは、もっと太い、ひものようなものらしい
ですが、そのあとで犯人は佐智さんの首に、琴の糸を巻きつけていってるんです。なんの
ためにそんなことをしたのか、それが不思議だと署長さんも首をかしげています」
「琴の糸」
梅子がゆっくり口のなかでつぶやいた。それから、もう一度、
「琴の糸……琴……」
と、口のうちで繰りかえしていたが、そのうちに、なにか思いあたるところがあったの
か、はっと顔色をうごかすと、
「ああ……琴!……菊!」
と、大きく息をはずませ、そして、それきり、シーンとだまりこんでしまったのである。
さて、豊畑村からの報告で、梅子についで大きなショックをうけたのは、いうまでもな
く、小夜子の母の竹子であった。
ただし、彼女がショックをうけたのは、佐智のことではない。佐智が殺されたというこ
とは、彼女になんの感慨もあたえなかったようだ。むしろ自分の身にひきくらべて、いい
気味ぐらいに思ったかもしれぬ。
ところがそのあとで吉井刑事の口から、小夜子の発狂をきき、さらに小夜子の妊娠をき
くに及んで、彼女もまた梅子同様、ヒステリーの発作におそわれ、あられもないことを口
走ったのだが、なんと、その内容というのが、梅子の言葉と全然同じだった。
竹子もまた、姉の松子を犯人とよび、彼女が自分の息子の佐清を相続人にするために、
佐武と佐智を殺したのだと叫んだ。
しかも、興味深いことには、あの琴の糸に関する吉井刑事の報告に対しても、彼女は梅
子とまったく同じ反応を示したそうである。
「琴の糸……琴の糸ですって?」
はじめは竹子も、ただ不思議そうに首をかしげるばかりだったが、そのうちに、なにか
思いあたるところがあったらしく、はっと大きく息をうちへ吸うと、
「ああ、琴!」
と、おびえたような眼の色をして、
「そして、このあいだは菊だった!」
と、あえぐように叫び、それきりだまって考えこんだ。そして、刑事や夫の寅之助が、
どんなに言葉をつくして尋ねても、だまりこんだまま返事もしなかったが、そのうちに真
っ青な顔をして立ち上がると、
「……私梅ちゃんと相談してきます。……まさか、そんなことはないと思うけど、なんだ
か恐ろしい。……いずれ梅ちゃんと相談のうえ、お話しするかもしれません」
と、まるで幽霊みたいな足どりでフラフラ座敷を出ていったというのである。
豊畑村から報告をうけて、いちばん動じなかったのはいうまでもなく佐清の母松子であ
った。
吉井刑事が最後に松子夫人の部屋へやってきたとき、彼女は琴の師匠の宮川香琴を相手
におけいこをしているところだった。琴の師匠の宮川香琴女史は、佐武の事件があったと
き、この那須にいあわせたが、その後、伊那のお弟子さんのあいだをまわって、昨日から
また那須の宿へかえっているのであった。
刑事が入っていくと、その姿を見つけて、仮面の佐清も自分の部屋から出てくると、無
言のまま、母と香琴女史のあいだに座った。
どうせわかることだからと、刑事は香琴師匠のいるのも構わず、佐智の殺されたことを
つげ、さらに小夜子の発狂をしらせたが、松子夫人はそれをきいても、眉毛一筋動かさな
かった。いや眉毛一筋動かすどころか、彼女は平然として琴を弾きつづけているのである。
その態度がいかにもしぶとくて、|面《つら》|憎《にく》かった。
刑事の報告をきいて、いちばん驚いたのは、むしろ香琴師匠だったろう。彼女はさすが
に刑事が入ってきたときから、琴を弾く手をやめ、つつましく控えていたのだが、刑事の
話をきくと、おびえたように不自由な眼を見はり、細い肩をふるわせると、ほうっと深い
ため息をついた。
佐清はどんな表情をしているのか、これは例によって、仮面のためにわからない。白い
仮面がただしらじらと、無気味に静かなだけである。
ちょっとの間、ギゴチない沈黙が部屋のなかに流れた。松子夫人はあいかわらず、平然
として琴を弾きつづけている。おそらく彼女は妹たちが、自分をどんな眼でみているかを
知っているのであろう。そして、そういう空気を|撥《は》ねっかえすために、わざと虚
勢をはっているのであろう。
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