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犬神家族-第七章 噫無残!(1)
日期:2022-05-31 23:59  点击:237
第七章 噫無残!
十二畳ふた間をぶちぬいた犬神家の奥座敷、正面の白木の壇にあいかわらず大輪の菊花
におおわれた故犬神佐兵衛翁の、老いてなおかつ、昔日の|美《び》|貌《ぼう》のなご
りをとどめた端麗な遺影。
そのまえにあつまった犬神家の一族から、今日はまたふたりの男女が欠けている。ちか
ごろこの座敷にあつまりがあるたびに、まるで歯がぬけていくように、犬神家の一族から
重要人物が欠けていくのを、正面の白木の壇にかざられた佐兵衛翁の写真はなんと思って
いるだろうか。
このあいだは佐武が欠けた。そして今日は佐智と小夜子である。小夜子は恐ろしいショ
ックのために、一時的にとりのぼせているのであろうから、いつかは常態にかえることが
あるかもしれないけれど、ちょうどそのころ、那須病院の奥ふかく、手術台の上によこた
わって、楠田院長執刀のもとに、解剖がおこなわれているであろう佐智は、二度と犬神家
の親族会議につらなることはありえないのである。
こうして佐兵衛翁の血をひく男性は、あの消息不明の青沼静馬をのぞいては、ただひと
り、佐清だけがのこったわけである。その佐清はいまもまた、あの白いゴム製の仮面に、
人知らぬ山奥の古沼のような無気味な静けさをたたえて、ひっそりと座っているのである。
まるで血もかよわぬ冷たい塑像ででもあるかのように。
佐清のそばには松子夫人。
そして、そのふたりから少しはなれたところに竹子と夫の寅之助。
さらにそれから少しはなれて、眼をまっかに泣きはらした梅子と夫の幸吉。
犬神家の一族といえば、もうこれだけになってしまったが、そのなかに、この一団から
少しはなれて、珠世がひかえていることはいうまでもない。昨日からうちつづくショック
に、珠世はいくらかやつれていたが、そのために、あの照りかがやくばかりの美しさが、
そこなわれるようなことは少しもなかった。いやいや彼女の神々しいばかりの美しさは、
くめどもつきぬ泉のように底なしであった。見れば見るほど美しさは立ちまさってくるの
であった。今日は珍しく珠世のそばに猿蔵もひかえている。
さて、それらのひとびとから少しはなれたところに、豊畑村からひきあげてきた橘署長
に金田一耕助。松子夫人に呼びよせられた古館弁護士。さらにひと足さきに豊畑村から凶
報をもたらした吉井刑事もひかえている。いずれもいままさに、神秘の|帳《とばり》を
かかげようとする緊張のために、息づまりそうな表情である。
一同のあいだにくばられた|桐《きり》|火《ひ》|桶《おけ》のなかで、炭火のはね
る音さえきこえるほどの静けさ。|清《せい》|冽《れつ》な菊の香りといっしょに、な
んともいえぬものすさまじい鬼気が、座敷のなかにみなぎりわたる。
息づまるような沈黙。――その沈黙をやぶって、口をひらいたのは松子夫人であった。
「それでは、お尋ねにしたがって、私から申し上げます。竹子さん、梅子さん、なにもか
もお話ししてもかまわないでしょうね」
例によってしんねり強い調子である。松子夫人に念をおされて、竹子と梅子はいまさら
のごとく、おびえたように顔を見合わせたが、それでもしかたなさそうに、暗い眼をして
うなずいた。
「この話は私たちのあいだの秘密で、今までだれにも打ちあけたことのない話です。いえ
いえ、できることなら生涯だれにも打ちあけたくないし、また、けっしてだれにも話すま
いぞと三人でかたくちかいあった秘密なのです。でもこのような事態となっては、もうこ
れ以上かくしているわけにもまいりますまい。竹子さんも梅子さんも、子どもたちの敵を
うっていただくために、どうしてもこの話を打ちあけなければならぬとあらば、それもし
かたがないといっております。この話をきいて、あなたがたがわたしどもに対して、どの
ような感じを持たれようとも、それはもう致し方のないことです。ひとにはそれぞれの立
場があります。人間はだれでも自分たちの幸福を守らねばならぬものですし、ましてや母
ともなれば、自分のためばかりではなく、子どもの幸福のためにもたたかわねばなりませ
ん。たとえひとさまから多少非道のそしりをうけましょうとも」
松子夫人はそこでちょっと、言葉をきると|禿《はげ》|鷹《たか》のように鋭いまな
ざしで、ギョロリと一同を見まわし、ひと息いれると、ふたたび話しつづけた。
「話はここにいる、佐清の生まれる前後のことですから、かれこれ三十年の昔にさかのぼ
ります。そのころ亡父犬神佐兵衛が青沼菊乃といういやしい女を|寵愛《ちょうあい》し
ていたことは、皆さんもたぶんお聞きおよびのことと存じます。菊乃というのは亡父の経
営しておりました、製糸工場につとめていた女で、このころ十八、九でございましたろう
か。格別器量がよいというわけでもなく、また、格別|才《さい》|長《た》けているわ
けでもなく、ただ、おとなしいばかりの平凡な娘でございましたが、どういうふうにして
あれが亡父を|籠《ろう》|絡《らく》いたしましたものか、とにかくその女に手をつけ
て以来、あれが老いらくの恋とでもいうのでございましょうか、亡父はもうはたの見る眼
もあさましいほど、のぼせあがってしまったのでございます。そのころ亡父は、五十の坂
を二つ三つ越えていたでしょうか、犬神家の事業の基礎もようやくかたまり、犬神佐兵衛
といえば、日本でも一流の事業家にかぞえられておりましたのに、それがまだ十八や十九
の、それも自分の工場に使っていた、ごく身分のひくい女工あがりの娘に、うつつを抜か
してしまったのですから、世間に対して、これほど外聞のわるい話はございませんでした」
いまさらのように、当時の怒りがこみあげてきたものか、松子夫人は声をふるわせて、
「さすがに亡父も私どもをはばかったものか、その女をこの家にひっぱりこむようなこと
はしようとせず、町はずれに手ごろな家を買いもとめて、そこに住まわせておりましたが、
はじめのうちは人眼をしのんで、おりおり通っておりましたものが、だんだんずうずうし
くなってまいりまして、しまいにはとうとう、入りびたりということになってしまいまし
た。そのころの私ども一家の世間ていのわるさを、まあ考えてみてくださいませ」
松子夫人はますますネツい調子になって、
「これがそんじょそこらによくある、ふつうの金持ちの御隠居が若返ったというならば、
まだようございましょう。それほど世間の口の端にのぼるようなこともございませんでし
たろう。ところがそれとはことちがい、かりそめにも信州財界の巨頭、長野県の代表的人
物、那須町の父ともいわれる犬神佐兵衛のその不始末でしたから、世間の風当たりも強う
ございました。|喬木《きょうぼく》風に吹かれるたとえのとおり、亡父も偉くなればな
るで、政敵、商売がたき、その他いろいろの敵が多うございましたが、それらの連中が時
こそいたれとばかりに、新聞には書き立てる。だれがつくったのか、変な、みだらなざれ|
唄《うた》をつくってはやらせる。ほんとにあのときのことを思うと、いまも身内がすく
むほど、いやな思いをさせられました。でもまだそれだけならばよかったのです。ひとか
ら後ろ指をさされるくらいならば、なんとか辛抱もできないことはございませんでした。
ところがそのうちにどうしても聞きずてにならない風評が、私の耳に入ったのでございま
す」
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