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犬神家族-第七章 噫無残!(8)
日期:2022-05-31 23:59  点击:241
金田一耕助はこの書き抜きに、くりかえし眼をとおしたあげく、最後にあるあの第二十
五項の珠世の素姓に関するくだりにいたるごとに、いつも、暗澹たる思いにとざされずに
はいられなかった。
事件がすべておわり、あらゆるなぞが明るみへ出たあとにして思えば、大山神主のあの
不謹慎な暴露こそは、犬神家の殺人事件のクラ?マックスだったのだ。
大山神主が那須神社の土蔵のなかから発見した、秘密の|唐《から》|櫃《びつ》に言
及したのは、たしか佐武が殺されたときのことであった。その唐櫃には犬神佐兵衛翁の恩
人、野々宮大弐の連署になる封印があり、なかには、若き日の佐兵衛と野々宮大弐のあい
だにとりかわされた、古い|艶《えん》|書《しょ》などがあったという。
その唐櫃の発見に言及したとき、大山神主が得意になってつぎのような意味のことをい
ったのを、金田一耕助はおぼえている。
「金田一さん、私はあの唐櫃のなかを徹底的に調査してみようと思う、ひょっとすると、
あの唐櫃のなかからいままでにも知られていない、佐兵衛翁に関する貴重な文献が発見で
きるかもしれない。こんなことをいったからとて、私はなにもいやしい好奇心から、他人
の秘密をさぐろうというのじゃないんです。佐兵衛翁はわれわれ那須人の恩人です。私は
あの偉大な人物の赤裸々な姿をさぐり、その伝記をのこしておきたいと思うのです」
思えば人の一心ほど恐ろしいものはない。大山神主はとうとうその宿望を果たしたのだ。
かれはあの唐櫃に秘められた、種々雑多な文書を、克明に整理し、丹念に調査していくう
ちに、ついに佐兵衛翁の秘密をさぐりあてたのだ。しかも、おお、その秘密のなんという
すさまじいものであったろうか。
大山神主の整理した文書に、金田一耕助も眼をとおしたが、それこそは、若き日の佐兵
衛翁をはじめとして野々宮大弐と妻晴世の三人のあいだに繰りひろげられた、あやしくも
また世にも異常な性生活の記録であった。それは実に三人の男女の血のにじむような愛欲
と苦闘の、惨澹たる始末記だったのだ。
私はいまそれらの記録をそのまま発表するには、とてもしのびない気がするから、でき
るだけ簡単に、事実を報告するだけにとどめておくことにしようと思う。なぜならば、そ
れはあまりにも不倫であり、あまりにも異常な愛欲の生態なのだから。
珠世の祖父野々宮大弐と若き日の佐兵衛翁のあいだに、衆道の契りがむすばれていたと
いうことは、それらの文書によってもあきらかだったが、その関係ははじめの二、三年で
やんだらしい。
そのことは佐兵衛翁が長ずるにしたがって、大弐のほうでひかえるようになったことを
意味しているのかもしれないが、もうひとつ、いろんな文書の行間に流れている、無言の
意味からくみとれるのは、野々宮大弐というひとが、性的に、不能者とまでいえないまで
も、あまり頑強な体質ではなかったらしいことである。
しかも、さらに奇怪なことは、若き日の佐兵衛に対しては、わずかにうごいた大弐の愛
欲も、妻の晴世に対しては全然、興味が起こらなかったらしいことである。すなわち大弐
というひとは、男性に対しては、微弱ながらも性欲を感じたが、女性に対しては完全に不
能者だったらしいのだ。したがって、佐兵衛翁が大弐の|寵愛《ちょうあい》をうけるよ
うになったころ、大弐は四十二歳、妻の晴世は二十二歳、しかもかれらは結婚して、すで
に三年をへているにもかかわらず、晴世はまだ処女だったそうである。
さて、まえにもいったとおり、大弐と佐兵衛翁の関係は、二、三年でやんだようだが、
その後も年下の友人として始終大弐のもとに出入りしているうちに、佐兵衛はいつか恩人
の妻と新しい関係を生じたらしいのである。
いったい、どういう衝動のあらしが、ふたりを押したおしたのか、そこまでは唐櫃のな
かの文書も語っていなかったが、このことが、実に佐兵衛翁の性情を大きくゆり動かし、
翁の生涯のあの惨澹たる性生活の大きな原因となったのである。
当時、佐兵衛は二十歳、晴世は五つ年長の二十五歳、ふたりともはじめて知った異性だ
けに、もえあがる愛欲の炎は強烈だったが、それと同時に、良心の|呵責《かしゃく》も
またはげしかった。佐兵衛も晴世もこのあやまちに、|恬《てん》|然《ぜん》として|
頬《ほお》かむりでとおせるような破廉恥な人間ではなかったのだ。それこそ、血みどろ
な、のたうちまわるような|苦《く》|悶《もん》のすえに、ふたりは毒をあおって心中
をはかったことさえあるらしい。
幸か不幸かこの企ては、いちはやく大弐の知るところとなり未遂に終わった。そしてそ
れと同時に、ふたりのかくしごとは、すべて大弐に知れてしまったわけだが、このときの
大弐の態度こそは、世にも異常なものであった。
かれはふたりのあやまちを許したのみならず、その後も、かれらがこの不倫な関係をつ
づけていくことを、かえって|慫慂《しょうよう》さえしたらしいのである。おそらくそ
れは、結婚後、一指もふれず、長く処女妻として放置しておいた妻に対する|贖罪《しょ
くざい》の気持ちからであったろうが、それでいて、世間体をはばかって、妻を離別して、
公然と佐兵衛にあたえることを|逡巡《しゅんじゅん》したらしい。晴世もまた同じ理由
からそうされることを好まなかった。そしてそこに三人の、世にも異様な関係がはじまっ
たのである。
名目上晴世は大弐の妻でありながら、事実上は佐兵衛の妻であり恋人であった。大弐は
この恋人たちの|逢《あい》|曳《びき》に、できるだけ便宜をはかってやったのみなら
ず、そういう秘密の|漏《ろう》|洩《えい》するのを極力ふせぐように立ちまわったの
である。ふたりの逢曳はいつも那須神社の一室でおこなわれたが、そういう場合、大弐は
席こそはずしたろうが、けっして家を出るようなことはなかった。かれは忠実な番犬のよ
うに、自分の妻と恋人の逢曳の事実が外へもれることをふせぐために、別室で見張りの役
をつとめていたのである。
こうして秘密は完全に保たれ、かれらの奇怪な、不自然な関係は、その後もながらくつ
づけられたのである。そして、やがて祝子が生まれたのだが、大弐はなんのためらいもな
く、彼女を自分の子として入籍した。
こうして表面、三人のあいだにはなんの|波《は》|瀾《らん》もおこらず、不自然な
がらも、平穏な愛欲生活の歳月が流れたが、平穏なのは表面だけであって、裏面にわだか
まる三人三様の苦悶はどんなに大きかったことだろう。ことに女だけに晴世の良心の呵責
ははげしかったにちがいない。
当時はまだ、「チャタレ?夫人の恋人」などという小説は世に出ていなかった。夫が不能
者だからといって、妻がほかに恋人をつくっていいというような寛大な精神は、日本人の
だれにもなかった。夫が指をふれてくれなくとも、妻はじっと我慢しているべきだという
のが、一般の常識であり、道徳であった。とりわけ古風にそだった晴世には、そういう意
識が強かっただけに、佐兵衛との関係に対する良心の呵責ははげしかった。それでいて、
一方彼女は、自分より年少の、美貌の恋人に対する、愛情の|絆《きずな》をたちきるこ
とはできなかったのだ。彼女は後悔と苦悶にのたうちまわりながらも、佐兵衛との逢曳に、
身も心もただれていった。晴世のこの苦悶、惨澹たる|懊《おう》|悩《のう》を知るゆ
えに、佐兵衛翁の彼女に対する愛情はいよいよ深まっていったらしい。事実上自分の妻で
あり、自分の子供まで生みながら、晴れて自分の妻となれない女、――この|薄《はつ》|
倖《こう》の女にそそがれる佐兵衛翁の|憐《れん》|憫《びん》といつくしみは、翁が
しだいに成功し、一流の事業家となるに及んで、いよいよ深くなったことだろう。翁が生
涯、正室をめとらなかったのも、実にその理由による。かれは生涯、晴世に義理を立てと
おしたのだ。
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