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犬神家族-第七章 噫無残!(10)
日期:2022-05-31 23:59  点击:239
橘署長は苦虫をかみつぶしたような顔をして、吐きだすようにそういった。そして、眼
下の氷のなかから突っ立っている、あのまがまがしい逆立ち死体を、いかにもいまいまし
そうにながめている。その死体をとりまいて刑事たちが発掘作業に右往左往しているので
ある。それは一見簡単そうに見えて、その実かなり困難な作業だった。なぜなれば、氷は
まだそれほど厚くはないので、うっかり乗ると、氷がわれて湖水に落ちる心配があるし、
かといって、ボートを出すのもむずかしかった。刑事たちは氷をきざみながら、ボートを
死体のほうへ進めていくのである。
雪になるかもしれない。湖水をおおうた空は、鉛色に凍りついていた。
「そ、それじゃ、あの死体は佐清君にちがいないのですね」
金田一耕助はガタガタあごをふるわせながらつぶやいた。かれがふるえているのは、け
っしてその朝の寒さのためではない。ある異常な思いのために、身も心もふるえてやまな
いのだ。
「ふむ、その点についてはまちがいはないようだ。松子夫人の言葉によると、あのパジャ
マはたしかに佐清君のものだというし、それに第一佐清君の姿はどこにも見えないのだ」
「松子夫人は……?」
金田一耕助はあたりを見回したが、夫人の姿はどこにも見えなかった。
「いや、あのひとはたいしたものだよ。佐清君の最期を見ても、妹たちのように泣いたり
わめいたりしないのだ。ただ、ひとこと、あいつだ、あいつが|復讐《ふくしゅう》の最
後の仕上げをしていったのだ……と、そういったきり、自分の部屋へ閉じこもってしまっ
た。それだけに綿々たる恨みの思いは、いっそう深いのかもしれないがね」
金田一耕助は展望台のはしに、珠世が立っているのに気がついた。彼女はふかぶかと|
外《がい》|套《とう》の|襟《えり》を立てたまま身じろぎもせずに、あのまがまがし
い逆立ち死体を見おろしている。いったいなにを考えているのか、あいかわらずあの端麗
な面差しは、スフ?ンクスのようになぞを秘めて無表情である。
「署長さん、署長さん、それにしても、いったいだれがいちばんはじめに、あの死体を発
見したんですか」
「猿蔵だよ、――例によって」
署長の声はあいかわらず吐き出すような調子である。
「猿蔵……?」
金田一耕助は珠世のほうに眼をやりながらため息をついた。珠世はしかし、ふたりの話
を聞いているのかいないのか、依然として彫像のように動かない。
「署長さん、それで佐清君の死因は……? まさか、生きながらこんなところへ逆さに突
っ立てられたのではないでしょう」
「それはまだわからん。佐清君の死体を掘り出してみなければ……しかし、ひょっとする
と、斧で頭をぶちわられているのじゃないか……」
金田一耕助も息をのんだ。
「なるほど、佐清君が殺されたとすれば、こんどは斧の番ですね。しかし、それにしては
署長さん、どこにも血の跡が見えないのが不思議じゃありませんか」
金田一耕助のいうとおり、薄白く凍った湖水の表面には、どこにも血の跡は見られなか
った。
「そう、わたしもそれを不思議に思っているのだが……それに犯人が斧を使ったとしたら、
自分でどこからか持ってきたんだね。この家には、斧、あるいは斧に類する凶器はひとつ
もないのだ。松子夫人のこのあいだの告白以来、そういうものはいっさい始末をつけさせ
たのですからね」
そのときやっと刑事連中が、死体のそばへボートを持っていった。そして、刑事がふた
りがかりで、ボートのなかから逆立ち死体の両脚に手をかけた。
「おい、気をつけてくれよ。むやみに死体に傷をつけるな」
展望台の上から署長が声をかけた。
「大丈夫です。心得てます」
三人目の刑事が死体の周囲の氷をくだいていく。まえにもいったように、死体はちょう
ど|臍《へそ》のへんから、氷のなかに埋まっているのである。
間もなく氷がくだかれて、ゆすぶると逆立ち死体がゆさゆさゆれはじめた。
「おい、もういいだろう。気をつけてやってくれ」
「おっとしょ」
刑事がふたり、脚を一本ずつ持って、ごぼう抜きに死体を抜きあげたが、そのとたん、
展望台の上に立ったひとびとは、思わず声のない叫びをもらし、息をのんで、手をにぎり
しめた。
佐清の仮面はうせて、氷のなかから、逆さにつりあげられたのは|柘《ざく》|榴《ろ》
のように肉のくずれた、世にも醜怪な顔なのだ。
金田一耕助はいつか一度、そうだ、佐清が復員してきた直後のことだ、遺言状発表の席
で、佐清が鼻のあたりまで仮面をまくりあげるのを見たけれど、そのおぞましい顔をまざ
まざと正視するのはいまはじめてだった。しかも、その醜怪な顔は、ひと晚、氷のなかに
つかっていたために、紫色にくち果てて、その恐ろしさ、おぞましさがいっそう誇張され
ているのである。しかし不思議なことに、その死体の頭部には、橘署長が予期したような、
傷らしいものはどこにも見当たらなかった。
金田一耕助はしばらく、そのおぞましい顔を見つめていたのち、やがて顔をそむけたが、
そのとき、ふとかれの眼をとらえたのは珠世の顔色である。
男の耕助ですら、ふた眼とは見られぬその顔を、珠世は、|瞳《ひとみ》をこらして凝
視しているのである。ああ、そのとき珠世の頭を去来するのは、いったいどういう思いで
あったろうか。……
それはさておき、刑事連中が凍った死体を、ボートに乗せてかえってくるとき、警察医
の楠田氏があたふたと展望台へ駆けつけてきた。あいつぐ変事に楠田氏はうんざりした格
好で、署長の顔を見てもろくすっぽあいさつもしなかった。
「楠田さん、御苦労でもまたひとつ頼みます。詳しいことは解剖してみなければわからん
でしょうが、とりあえず死因と、死後の経過時間を知りたいのだが……」
楠田医師は無言のままうなずいて展望台からおりかけたが、そのときだった。珠世が口
をひらいたのは。
「あの、ちょっと、先生……」
階段へ一步足をかけた楠田医師が驚いたように立ちどまると、珠世のほうへふりかえる。
「ええ? お嬢さん、なにか御用かな」
「はい、あの……」
珠世は楠田医師と橘署長の顔を見くらべながら、ちょっとためらったが、やがて思いき
ったように口をひらいた。
「もし、あの死体を解剖なさるのでしたら、そのまえに、ぜひとも、右手の手型を……指
紋をとっておいていただきとうございます」
その一言をきいた|刹《せつ》|那《な》、金田一耕助はまるで重い|棍《こん》|棒《ぼ
う》で脳天をぶん殴られたようなはげしい衝撃を感じた。
「な、な、なんですって、珠世さん!」
かれは一步まえへ出ると、思わず大きく息をはずませた。
「それじゃ、あなたはあの死体に、疑問がおありだとおっしゃるのですか」
珠世はそれに答えなかった。瞳を湖水のほうに転じると、無言のままひかえている。珠
世という女は、自分のいいたいことはいうけれど、他人の意志で口をわらせることの非常
に困難な性質だった。おそらく孤独な彼女の境遇が、そういうふうな、|強靭《きょうじ
ん》な意志をつくりあげたのであろう。
「だって、珠世さん」
金田一耕助は、なにかしら圧倒されるような気持ちでくちびるをなめ直し、なめ直し、
「佐清君の手型なら、いつかとったじゃありませんか。そして、あの奉納手型と一致する
ということになって……」
金田一耕助はそこまでいって、はたと口を閉じてしまった。そのとき、珠世の瞳のなか
に、ちらりと動いたあざけりの色に気がついたからである。
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