行业分类
八墓村-犬神家族-第八章 運命の母子(3)
日期:2022-05-31 23:59  点击:230
思えば静馬という青年も哀れなものである。かれがはじめて父を知ったとき、――それ
はかれが暗澹たる運命にむかって船出するときであった。はじめてきいた父の名を、しっ
かり胸にいだいて船出したかれの行方に待っていたものは、魚雷だったか爆撃機だったか。
それともかれはたくみにそれらの襲撃からまぬがれて、いまもどこかに生きているのであ
ろうか。……
金田一耕助は突然身をひるがえして、菊乃のそばへかえってくると、彼女の肩に手をお
いて、上からのぞきこむようにした。
「菊乃さん、静馬君のことについて、もうひとつお尋ねしたいことがあるのですがね」
「はあ」
「あなたは佐清君をご存じでしょう。佐清君のかぶっているゴムの面を……」
「はあ存じております」
「あの仮面は、佐清君のほんとうの顔にそっくりにせてつくってあるのですが、どうでし
ょう、静馬君は佐清君と似てはいなかったでしょうか」
金田一耕助の最後の一言は、この応接室のなかに、爆弾でも投げつけたような効果をも
たらした。菊乃は椅子のなかで硬直し、橘署長と古館弁護士は、椅子の両腕をわしづかみ
にして、いまにも跳躍しそうな姿勢をしめしている。
一種異様な緊迫した空気のうちに、ストーブのなかの石炭が大きくもえ崩れる。
三つの手型
「どうして、……どうして、それをご存じだったのでございますか」
菊乃が口をひらいたのは、よほど時間がたってからのことだった。彼女はがっくり椅子
のなかに身をうずめると、落ち着かない様子で、額の汗をぬぐっている。不自由な片眼に、
おびえたような光がただようていた。
「そ、それじゃ、やっぱり、に、似ているんですね」
菊乃はかすかにうなずくと、それから乾いた声でいった。
「はじめて佐清さまにお眼にかかったとき、わたくしほんとうにびっくりしてしまいまし
た。むろん、あの方のお顔はほんとうのお顔ではございません。ゴムでつくった仮面のお
顔でございます。でもなにしろこのとおり、眼が不自由なものでございますから、はじめ
ははっきりそれがわからず、ただ、もうあの子――静馬に似ていらっしゃるのでびっくり
してしまいました。いえいえ、似ているだんではございません。まるで|瓜《うり》二つ
で……わたくしてっきり静馬がかえってきて、そこに座っているのだと思ったくらいでご
ざいます。でも、よくよくお顔を見ているうちに、やっぱり静馬でないことがわかってき
ました。眉のあたりから眼もとへかけて……それから小鼻のあたりが静馬とちがっており
ました。それにしても血は争えないものでございます。佐清さまは御先代さまのお孫さま、
静馬は御先代さまのわすれがたみ、年は同じでも叔父|甥《おい》にあたるわけで、二人
ともきっと御先代さまに似ているのでございましょう」
菊乃は静かに語りおわると、あふるる涙をハンケチでおさえた。おそらく犬神佐兵衛の
ひとり息子と生まれながら、半生を日陰の身として暮らし、その後、行方も知れぬわが子
を思うて、胸もしめつけられる思いであろう。
そのとき卒然として、橘署長が、金田一耕助のほうをふりかえった。
「金田一さん。あんたはどうしてそのことを知っていたんです」
「いや、いや」
金田一耕助は署長の視線をさけるように顔をそむけながら、
「知っていたわけじゃないんです。いまも菊乃さんがおっしゃるとおり、叔父と甥の間柄
だし、それに年も同じだしするので、どこか似ているところがありはしないかと思ったん
ですが、瓜二つとは驚きましたな」
金田一耕助は菊乃の背後に立って、かるくもじゃもじゃ頭をかきまわしている。その眼
のなかには、一種異様なかがやきがあった。
橘署長はうたがわしげな眼で、まじまじとその横顔を見つめていたが、やがてあきらめ
たように、肩をゆすって菊乃のほうへ向き直ると、
「菊乃さん、あなたは静馬君の消息をご存じじゃありませんか」
「いいえ、存じません」
菊乃は言下にキッパリこたえると、
「それを知っているくらいなら……」
と、ハンケチを眼にあてて泣きむせんだ。
「しかし、静馬君はあなたのご住所をご存じなのでしょう」
「はあ」
「では、無事でいるとすれば、お宅のほうへ通信があるはずですね」
「はあ、それですからわたくし、待っているのでございます。くる日もくる日も、あれか
ら手紙のくるのを」
橘署長はいたましげな、しかし、どこか疑惑のこもったまなざしで、むせび泣く老女の
姿を見守っていたが、やがて静かに相手の肩に手をかけると、
「菊乃さん、あなたはいつごろからこのお屋敷へ、出入りするようになったのですか。そ
して、それにはなにか特別の目的でも……」
菊乃は涙をぬぐいおさめると、静かに顔をあげて、
「署長さま、そのことを申し上げるために、わたくしは今夜こうしてお伺いしたのでござ
います。わたくしがこのお屋敷へあがるようになったのは、けっしてやましい下心があっ
たからではなく、そういうめぐりあわせになったのでございます。ご存じかどうか存じま
せんが、一昨年ごろまでこのへんへ、回ってこられたのは古谷|蕉雨《しょうう》という
お師匠さんでございました。ところがその蕉雨さんが一昨年、中風でお倒れになりました
ので、わたくしが|代《だい》|稽《げい》|古《こ》にまいることになったのでござい
ます。最初、蕉雨さんからその話がございましたとき、わたくし、身ぶるいしてお断わり
申し上げました。那須から伊那へかけては、わたくしの生涯足を踏み入れたくない場所で
ございます。ましてやお弟子さんのなかに、こちらの松子さまがいらっしゃるときいたと
き、わたくし、もうふるえあがって……でも、そこにはいろいろと事情がございまして、
どうしてもお引き受けしなければならぬ羽目になってしまいました。そのとき、わたくし
考えたのでございます。あれからもう、三十年もたっていることだし、名前も境遇も顔か
たちも、このとおりすっかり変わってしまって……」
菊乃は寂しく頬をおさえると、
「ひょっとすると松子さまも、お気づきにならないかもしれない。そう思ったのと、いく
らかこちらさまに好奇心もございましたので、少し大胆ではないかと思いましたが、お顔
出しすることにしたのでございます。はあ、それ以外にはけっしてやましい下心など――」
「それで松子奥さまは、あなたに気がつかなかったんですね」

小语种学习网  |  本站导航  |  英语学习  |  网页版
09/28 19:27
首页 刷新 顶部