「それで、ぼくの職業《しょうばい》のことやなんかは……」
「いや、それはおっしゃいませんでした。こちらのほうからお伺いしたんですが、それは
ご当人からきいてほしいって」
本條直吉はちょっと悩ましそうな眼つきをして、
「それで、謝礼は……」
「それは事件によりけりですね。それにわたしまだ、引き受けるとも引き受けないとも申
し上げておりませんよ」
「ねえ、先生」
本條直吉はいくらか狡《ずる》そうな微笑をうかべて、
「これ、ぼくにとっちゃわりに合わない話だと思うんですよ。だってぼく妙な事件にぶつ
かったんです。しかし、これが果たして警察に関係のある事件だかどうかまだわからない」
「つまり刑事事件になるかどうかまだわからないとおっしゃるんですな」
「そうです、そうです。ひょっとすると、これ、単なる悪《いた》戯《ずら》……不
良の悪ふざけかもしれないんだ。しかし、もしこれが刑事事件に発展していくとすると……」
「つまりそこになんらかの犯罪が、伏在しているんじゃないかという疑いを、あなたは持
っていらっしゃるんですね」
「まあ、そういうこってす。そんな場合、巻《ま》き添《ぞ》えをくうのはいやだし、
またそんなことがあったのなら、なぜもっと早く届けて出なかったんだと、お目玉をくら
うのはなおいやですからね」
「なるほど」
金田一耕助は白い歯を見せて、
「それできょう高輪署へ届け出たが、警察では取りあわないでわたしのところへいけとい
う。それでこうしてやって来られたが、ここで謝礼をふんだくられちゃわりに合わないと、
こうおっしゃるんですね」
「ええ、まあ、そういうこってすね」
それにしてもこの男なにを職業とする男なのだろうかと、金田一耕助はさっきからそれ
となく観察している。油をこってりつけた左分けの頭に蝶《ちょう》ネクタ、それに
鼻下のチョビ髭《ひげ》といい、ふつう一般のサラリーマンとは思えない。どこかのバ
ーかキャバレーの、バーテンというような職業ではないかと考えている。
ほんとをいうと金田一耕助は多忙なのである。今夜も六時にあるところである人物に会
うことになっている。しかし、いっぽうさっきの等々力警部の電話も気にかかる。
「とにかくお話を伺うだけは伺いましょうか。謝礼のほうはご放念ください。こととしだ
いによっては、警部さんのほうへ請求してもいいですからね。あっはっは」
「そうそう、そのことですが、警部さんと先生はどういう関係になってるんですか」
「はあ、それはこういうこってすな。わたしみたいなショウバしてると、いろんなひと
が調査を依頼してくる。それらの依頼人はなんらかの意味で秘密をもっている。それをわ
たしだけがしっているわけです。ところがどうかするとそれが犯罪事件に発展していく場
合がある。そんなときわたしだけが握っているデータなり、情報なりを提供すると、警部
さんは捜査上ひじょうに有利な立場に立つわけですね。もちろんその際、わたしは依頼人
の諒解《りょうかい》を求め、依頼人の秘密や利益に、抵触しない範囲で行動すること
はいうまでもありません。さて、いっぽうわたしは警部さんにゕメをしゃぶらせてあげる
かわりに、警視庁の強力な捜査網を利用することができ、依頼人の希望も満たせるわけで
す。もちろんそこには虚々実々のかけひきが必要になってきます。あいても名うての古
狸《ふるだぬき》ですからね」
「ぼくは、しかし、なんの秘密もありませんよ。ただこれが事件……刑事事件に発展して
いったとき、なぜもっと早くいってこなかったかと、お目玉くらうのは業《ごう》腹
《はら》ですからね」
「なるほど、つまり市民としての義務を果たしておきたいというわけですな」
「まあ、そういうこってす」
本條直吉がそれでもまだ疑いぶかそうな眼で、金田一耕助の風《ふう》采《さい》
を観察しているのは、このもじゃもじゃ男、これでほんとにものの役に立つのだろうかと、
内心大いに抵抗を感じているのだろう。それでもやっと決心がついたのか、
「ぼく、こういうショウバをしているものですが……」
と、ズボンのポケットから引っ張り出した名刺入れから、一枚の名刺を取り出すと餉台
越しに金田一耕助のほうへ差し出した。手に取ってみると、
#ここから字下げ
本條写真館
本條直吉
#ここで字下げ終わり
と、あって高輪の住所が印刷してある。
金田一耕助は思わず口《くち》許《もと》をほころばせて、
「ああ、なるほど、わたしはまたなにをなさるかただろうと思ってましたよ。で、ご用件
とは……」
「はあ、じつはこれなんですがねえ」
と、引き寄せたのは、当時はまだ実用品として調法がられた風呂敷包みである。それを
開いてなかから取り出し、金田一耕助のほうへ押しやったのは、どうやら結婚式の記念写
真らしい。紅白の紐《ひも》でかがってあって、本條写真館という金文字が浮き彫りに
なっている。
金田一耕助がひらいてみるとはたしてそれは結婚記念の写真であった。大きさは四つ切
りくらいで、背後に二枚折りの大きな金屏風《びょうぶ》が立っており、そのまえに花
嫁と花婿がいる。花嫁は椅子に腰をおろしているが、お定まりの角《つの》隠《かく》
しに裾《すそ》模様である。
当時はまだカラー写真が普及していなかったから、その写真も白黒である。白黒だから
よくわからないのだけれど、どうやら濃い藍《あい》地の裾に牡《ぼ》丹《たん》
と唐《から》獅《じ》子《し》が大きく散らしてあり、金糸と銀糸で刺繍《しし
ゅう》がしてある。そうとう豪華な衣裳らしいが、どうせ貸し衣裳だろうと金田一耕助は
失礼なことを考えている。
さて、問題は花嫁の器量だが、頭の高島田はかつらとしても、まずは美人とよんでもど
こからも文句の出そうにない容貌である。顔はむろん厚化粧だし、場合が場合だからほと
んど表情の動きというものが認められない。ただふしぎなのはその眼つきである。カメ
ラマンの指令によってレンズのほうに視線をやっているのだろうが、ほんとうはレンズ
を見ているのではない。レンズをとおしてはるか遠くのほうを凝視《ぎょうし》してい
るようである。なにかしら恍《こう》惚《こつ》として夢見るような眼《まな》
差《ざ》しである。年頃は二十か一、二というところだろう。両手はキチンと膝のうえに
そろえており、夢見るような眼つき以外は、どこにも変わったところはなさそうである。
まずはふつうの花嫁である。膝のうえに重ねた左手の薬指には、エンゲージリングなら
ぬダヤの指輪をはめている。大粒のダヤの周囲を小粒のダヤがハート型にとりかこ
んでいる。