「おや、前金でいただけるんですか」
「はあ、いろいろご無理をお願いするんですから」
「ところでお写真が出来たら、どちらへお届けすればよろしいんで」
「それなんですけれど、写真いつごろ出来ます」
「そうですね、きょうが八月二十八日ですから、こうっと、九月三日までには仕上げてお
きますが……」
「九月三日でございますね。では、その日の夕方……四時ごろにだれかを取りによこしま
すから、ぜひ間違いのないように」
「承知いたしました。ではこれを」
そばで徳兵衛がハラハラしているのも委《い》細《さい》構《かま》わず、直吉
は領収書をかいて渡すと、
「ではこれを持って取りにきてください。じゃ今夜九時でございますね。お待ちしており
ますから」
女がそそくさと帰っていったあとで、
「あの女、とうとうだれの名前も出さなかったな」
徳兵衛は眉をひそめて呟《つぶや》いたが、直吉はそんなこと歯《し》牙《が》
にもかけぬという顔色で、ふてぶてしく嘯《うそぶ》いていた。
三
「で、その晚、迎えのものが来たんですね」
相手がしばらく黙っていたので、金田一耕助があとを促すように訊ねた。
「ええ、来ましたよ、きっちり九時に。しかも、この花婿さんがね、あっはっは」
直吉の声はなんとなく毒々しくひびいた。
「花婿が自分で来たんですか」
「まさかわたしもそれが花婿さんだとは気がつきませんでした、この面《つら》構《が
ま》えですからね。夏のンバネスを着ていて、その下が黒紋付きの羽織袴《はおりは
かま》らしいってことはわかりましたが、まあ、身内のもんだろうくらいに思っていたん
です。外は墨を流したような真っ暗な晚で、男は懐中電灯をもってましたよ」
金田一耕助は無言のままあいての話をきいている。
「その男鞄《かばん》のほうを持ってくれて、わたしのさきに立って步くんですが、な
にやらブツブツ小声で呟《つぶや》いたり、ときどきなにかを思い出したように高笑い
をしたり、いささかご酩《めい》酊《てい》らしいんですが、べつに後ろ暗いことを
やってるふうにもみえないので、わたしもおいおい安心してついていったんです」
「口はききませんでしたか」
「いや、わたしのほうから二、三度声をかけたんですが、そのつどうるさいとかなんとか
一《いっ》喝《かつ》されましてね、なにしろこの体でしょう」
と、写真の花婿を指さして、直吉はせせら笑うような調子である。
「ぶん殴《なぐ》られたらひとたまりもありませんや。そうかと思うとごめん、ごめん、
こちらから無理を頼んでおきながら、うるさいはなかったな。まあ、しかし、てめえは黙
ってショウバしてれゃいいんだ。迷惑かけるような真似はしねえから安心してろなんて
笑ってるんです。ところがねえ、金田一先生」
「はあ」
「わたしはじつは高輪うまれの高輪育ち、ガキのころからそのへんいったいを駆けずりま
わって、高輪といやあ隅から隅まで知ってたもんです。ところが二十四年の春シベリヤか
ら復員してみると、あのへんすっかり変わっちまっておりましょう」
「ああ、あなたシベリヤから復員してらっしたんですか」
「ええ、そうなんです、二十四年の春ですね。あれから四年、ちかごろじゃだいぶん復興
してきましたが、二十四年の春はまだまだでしたよ。おやじは甲斐性《かいしょう》も
んですから、本建築でいまの写真館を再建してましたが、まあ、昔からいえば半分とはあ
りませんね。しかし、本建築だからまだいいほうで、近所合《がっ》壁《ぺき》みん
なバラック。まだ焼け跡があちこちに残っている。わたしは高輪いったいを步きまわって
みましたが、昔の面影さらになし、どこがどこだかサッパリわからねえ始末。ところが二
十八日の晚がおんなじでしたね。なにしろ墨を流したようにあたりは真っ暗、それゃとこ
ろどころに街灯はついてますが、それだって覚《おぼ》束《つか》ねえもんです。正
直いってわたしゃ心細くなってきましたが、しかしあの娘さんに步いて十五分か二十分っ
ていわれていたんで、痩《や》せ我慢張ってついてったんです。ところがむこうへ着い
てから、なあんだ、ここかって気がつきましたね」
「ご存じの場所だったんですか」
「ええ、そこ、病院坂ってえんです」
「病院坂……」
「いや、昔はもっとしかつめらしい名前がついていたんですが、明治の中期か末期かにそ
こに大きな病院が出来ましてね、いつか病院坂ってよばれるようになっちまったんです。
法眼病院ってお聞きになったことございませんか」
「芝の法眼病院なら聞いたことがありますよ。有名な病院なんでしょう」
金田一耕助はポーカーフェースである。多少ぐれているらしいが、たかがしれた写真
屋ふぜいに、心中の動揺を見すかされるようではこのショウバは勤まらない。
「ええ、それゃ大きな病院でしたよ、内科外科その他いっさい揃《そろ》った総合病院
で、設備もよく行き届いてましたよ。ところが、先生、二十四年の春復員してみると、見
るも無残なありさまになってるじゃありませんか」
「と、おっしゃると」
「聞くところによると戦争中、芝公園のなかに高射砲陣地があったんだそうです。敵さん
そこを覘《ねら》って爆弾を投下したところ、そいつが外《はず》れてモロに法眼病
院へ落下したんだそうで、わたしが復員してきた二十四年ごろは、まだ惨《さん》憺
《たん》たるものでしたね。廃墟ということばがピッタリだったな。ところがその法眼病
院のすぐそばに、おそらく病院と接続しているんでしょうが、院長の法眼さんのお宅があ
ったんです。蔦《つた》のからんだ風雅な洋館で、近所では蔦屋敷とよんでましたね。
わたしの連れこまれたのは、その法眼さんのお屋敷なんです」
「じゃ、法眼さんのお屋敷というのは焼け残ったんですか」
もしそのとき直吉に肚《はら》にいちもつあったとしても、金田一耕助の語調から、
なんの翳《かげ》りも感得することは出来なかったであろう。
「いや、蔦屋敷のほうは木《こ》っ端《ぱ》微《み》塵《じん》だったらしいん
ですが、それに付属している日本家屋のほうはほとんど無《む》疵《きず》で残った
らしいんですね」