金田一耕助は破顔一笑して、
「つまりわたくしを私立探偵として、雇ってくださるとおっしゃるんで」
「まあ、そういうこってすな。わたしはあんたをどういうひとかしらない。しかし、等々
力警部さんのおっしゃるのに、ひとさまの家に居候をしてるからってバカにしちゃいけな
い。坐るとピタリというひとだからって」
「警部さん、だいぶんぼくを買いかぶっていらっしゃる」
「まあ、いいです。これひとつの賭けですからね。警部さんが買いかぶっているのかいな
いのか。で、わたしに雇われてくれますか」
「それはもうゼニになることでしたら……」
金田一耕助は雀の巣のようなもじゃもじゃ頭をひっかきまわしながら、大ニコニコであ
る。
「そうするとわたしはあんたにとって、依頼人ということになりますな」
「そういうこってすな。適当に報酬がいただけるならばね」
金田一耕助はいかにも物欲しそうである。直吉はかるく舌打ちしながら、脹《ふく》
れあがった紙入れを取り出すと、なかから千円紙幣を三枚つまみ出したが、ちょっと考え
なおしたのち、もう二枚追加して、
「じゃ、差し当たりこれだけ渡しときましょう。その代わり……」
「はあ、その代わり……」
「あんたはわたしに調査の結果を、いちいち報告する義務がある」
「それはもちろん。あなたはわたしにとって大切なお客さんですからね。で、領収書を差
し上げましょうか」
「それは貰っとこう」
金田一耕助は立ってかたわらの机のうえから万年筆と便《びん》箋《せん》を持っ
てくると、そのうえに、
#ここから字下げ
一金 五阡円也
#ここから字下げ
但し右は「病院坂首縊りの家」に於ける奇怪な結婚式一件に関する調査費の内金。
#ここから字下げ
右正に受取り申候
昭和二十八年九月七日
#ここで字下げ終わり
#地から字上げ金田一耕助
と、書いてその下に捺《なつ》印《いん》すると、
「さあ、どうぞ」
直吉はそれを読み下していくうちに、
「なんだ、これ、内金かあ」
「それはそうです。調査をするとなると足代もかかりますし、ひとに頼むばあいもある。
警察のほうへ手をまわすにしても、手ぶらではいけませんからね、はい」
金田一耕助はすましかえってニコニコしている。直吉はいまいましそうに眉をひそめて
いたが、それでも領収書を四つに折って紙入れにしまうと、
「それじゃ頼んだぜ」
「承知しました。あ、ちょっと、調査の結果はこのお名刺の住所のところへ、差し上げれ
ばよろしいんでしょうね、電話なり、書面なり、口頭なりで」
「どうとでも好きなようにしてもらおう」
取り引きの話になってから、直吉のことばがすっかり横柄になったのは、おそらくこの
もじゃもじゃ男の賤《いや》しい内冑《うちかぶと》を見すかしたと思ったからであ
ろう。したがってそれからまもなく松月を出ていくときの直吉は、五千円略奪されたよう
な気持ちだったにちがいない。
六
本條直吉を玄関まで送りに出た金田一耕助は、相手が松月の門を出て、だらだら坂を下
っていくところまで見送って、急いで自分の離れへ引き返してきた。離れへかえると床脇
にある電話の受話器を取りあげて、しばらくダヤルを廻していたが、やがて電話が通じ
たらしく、
「こちら赤坂のナトクラブ、ですが……」
深いひびきのある声が、さわやかに金田一耕助の鼓膜につたわってきた。金田一耕助に
はすぐに相手がわかったらしいが、それでも念のために、
「ああ、こちら金田一耕助というもんですが……」
と、いわせもおえず、
「なあんだ、金田一先生ですか。ぼくですよ、多門修《たもんしゅう》ですよ」
「ああ、シュウちゃんか、あんたまだそこにいたのかい」
「まだいたのかいはないでしょう。先生をお待ちしているんじゃありませんか。もうそろ
そろ六時ですぜ。先生はいまどこにいらっしゃるんです」
「すまん、すまん、ちょっと客があったもんだからまだ大森だ。いまからじゃもう間にあ
わないかい」
「いや、それは大丈夫です。例のがおっぱじまるのは九時ごろだそうですから」
「なにがおっぱじまるというんだ」
「ゕングリーパレーツでさ」
「なんだい、それ、ゕングリーパレーツというのは」
「怒れる海賊たちてえ意味だそうです」
「へえ そんな映画の試写でもあるのかい」
「いや、映画じゃねえんです。ジャズコンボの名前なんです。ゕングリーパレーツ、
即《すなわ》ち、怒れる海賊たちてえ名前のジャズコンボがあるんです。まだゕマにち
ょっと毛の生えたていどのコンボですがね」
「ジャズコンボ……」
と、訊《き》きかえしたとき、金田一耕助の声はちょっとうわずりそうになったが、
すぐさりげない調子になって、
「しかし、そのジャズがおれとどういう関係があるんだ」
「だから、そのコンボのリーダーてえのが、このあいだ先生から調査を依頼された天《て
ん》竺《じく》浪《ろう》人《にん》らしいんです。そいつほんとは詩人でもなん
でもなく、トランペット吹きなんですがね」
「それ、間違いはないだろうね、そいつが天竺浪人だってこと」