私たちはかたちばかりの拝殿にぬかずいて、それからぐるりと社のうしろへまわった。神官はいるのかいないのか、どこにも人の気配はなかった。社の背後には十段ばかりの石段があって、それをのぼると、五十坪ばかりの平地があり、そこに、八つの塚つかがあった。ひとつは大きく中央にあり、あとの七つはそれを取りまくような位置にある。中央の塚が大将で、あとの七つは臣下であろう。塚のそばに八つ墓明神の由来を彫った石碑が立っているが、漢文なので私にはよく読めなかった。
この平地の東のはずれに、杉の巨木が亭々として空にそびえていた。
「あれが双生児のかたわれなのよ。そしてこっちのが、この春、雷にうたれた杉……」
美也子の説明で、平地の西はずれをふりかえったとたん、私はドキッと胸を躍らせた。
平地の西隅に、株ばかりになった杉をめぐってしめなわが張ってあり、そのしめなわのそばにしゃがんで一心に数じゅ珠ずをもんでいる姿があった。うしろ姿であったけれど、ひと眼でそれが尼であることがわかった。濃茶の尼か……?
「かえりましょう」
私は低声でささやいて、そっと美也子の袖そでをひいた。美也子はしかし、首を横にふると、
「大丈夫よ。あれ、濃茶の尼じゃないわ。バンカチの尼さんのバイコウさんよ。あのひとはいたっておだやかな人だから、なにも心配することはないの」
あとで知ったことだが、バンカチとは姥うばケ市いちと書くのだそうである。やはり字あざの名で、おそらくは、日本のあちこちにのこっている姥うば捨すて伝説の名残りをとどめているのであろうか。そのウバガイチがいつかバンカチと転てん訛かして、そこに慶勝院けいしょういんという尼寺があり、バイコウさんはそこの院主であった。バイコウとは梅幸と書く。歌舞伎役者の梅幸と同じ字だが梅幸尼はおそらくそういう名前の役者があることさえ知るまい。
梅幸尼はしばらく一心不乱に祈念をこらしていたが、やがて立ち上がってこちらを見た。そして、ちょっと意外そうに眼をみはったが、すぐにっこりとおだやかに頬笑んだ。なるほど濃茶の尼の妙蓮とは、似ても似つかぬきれいで上品な尼さんだ。色白の小ぶとりにふとった顔は、観音様のように柔和であった。丸くそりこぼった頭に、茶色の宗匠頭巾そうしょうずきんをかぶり、黒い道行きを着ている。年齢は六十を越えているのだろう。
梅幸尼は数珠をつまぐりながら、しずかに步をはこんでちかづいてきた。
「御院主さま、御信心でございますのね」
「はい。いろいろ気にかかることがあるものですから……」
梅幸尼はうすく眉まゆをくもらせながら、まじまじと私の顔を見て、
「こちらが東屋さんの……?」
「ええ、そう、辰弥さま。辰弥さん、慶勝院の梅幸さんよ」
私はかるく頭をさげた。
「それはよいところでお眼にかかりました。私もこれから麻ま呂ろ尾お寺じさんのお手伝いで、お宅へあがるところでした」
「それはそれは……御苦労さまです」
「御院主さま、麻呂尾寺のお住持さまはいかがですか。御病気とか承っていましたが……」
「はい、なにぶんにもお年がお年ですから……それで今日は英えい泉せんさんが御名代でおいでになるはずでございます。私もちょっと助すけ鉄砲に、お手伝いさせていただきます」
「それは御苦労さま。では、ごいっしょにまいりましょう」
私たちは石段のところまで来たが、梅幸尼はそこでちょっとうしろを振り返って、
「ほんとに無残なことをしたもので……」
「え? なんでございますの」
「いえ、あのお竹様の杉の木でございます」
梅幸尼は雷にうたれた杉のほうを指さした。
「え? あれ、お竹様の杉というのですか」
「はい、あちらのがお梅様の杉、こちらのがお竹様の杉、双生児杉でございます。そうそう、東屋さんの小梅様と小竹様は、双生児にお生まれなされたので、お杉の名前をいただかれたのだと承っております」
梅幸はしずんだ声で、
「ああして、何百年も何千年も、いっしょにスクスク成長してまいりましたのに、それが一方だけ雷にうたれてなくなるなどとは……これもなにか凶わるいことの起こる前兆ではないかと思うと、空恐ろしゅうございます」
梅幸尼もやはりこの村のものであった。八つ墓伝説からぬけきれないのである。私はなんとなくいやあな気がしたことだった。