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八墓村-第三章 八つ墓明神(7)
日期:2022-06-05 23:59  点击:314

英泉の旅行

 

私はもう、へとへとに疲れてしまった。何を考える力もなくなった。

ああ、もう、たくさんだ。

人間の緊張と興奮にたえうる力には、おのずから限界がある。その限界をこえると、緊張の糸はプッツリ切れ、興奮の袋は張りさける。こういう状態を腑ふ抜ぬけ状態という。私はその夜、腑抜け状態にあった。

洪禅さんの死体は現地解剖されることになって、とりあえず別室へ移された。磯川警部の手によって、県警察本部の嘱託医しょくたくい、N博士に電報がうたれた。

こういう手続きがあったあとで、私たちはその夜おそくまで、かわるがわる厳重な取り調べをうけた。いままでのふたつの事件の場合では、毒殺者がどこにいて、どういう機会に投薬したかわかっていないが、こんどの事件の場合では、それがハッキリしているのだ。毒殺者はこの家の屋根の下にいて、台所の混雑にまぎれて、たくみに毒を仕込んだのだ。

つまり、祖父を殺し、兄を殺し、そしていままた洪禅さんを殺した毒殺魔は、じつに私のすぐ身近にいたのだ。それを考えると、私の背筋をつらぬいて走る、うすら寒い戦せん慄りつを、どうすることもできなかった。

取り調べは峻烈しゅんれつをきわめ、その夜おそくまでつづけられた。なかでも、もっとも残酷な係官の尋問のほこさきにさらされたのは、かくいう私だった。うちつづく不幸な偶然は良識ある係官の頭脳さえ混濁させ、そのひとたちの眼にも、いまや、私のすがたが、一種異様な怪物としてうつってきたらしい。ただ、わけもなく、当たるを幸い、次から次へとひとを殺していく毒殺魔……この事件の犯人は、そうとしか思えないのだが、それは、私ほど格好な人物がほかにあろうか。

私はあのような恐ろしい父を持っている。父の体内にながれていた、あの凶暴な血は、私の体内にもながれていて、しかし、それはかたちを変えて、火のように真っ赤に灼熱しゃくねつするかわりに、蒼白く沈潜して、それが毒殺狂の素質をつくっているのではあるまいか。……

私の出生には、あのような血みどろな大惨事がからんでいる。そのことが、私の黒い運命の星となり、私を駆って、このようなえたいの知れぬ犯罪をおかさせるのではあるまいか。……

私にとって、もうひとつ不利だったのは、私がこの村にとって、新参者だということである。村人にとっては、私は異邦人の不可解さを持っていた。だから、だれひとりとして、自信をもって、私をかばうことのできる者がいなかったことだ。姉の春代でさえがひょっとすると……と、考えたのではあるまいか。……それを考えると、私は身を切られるよりもつらかった。

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