私の額からはタラタラとつめたい汗がながれた。眼のまえがまっくらになって、茶碗をもった両手がわなわなふるえた。
「これ、どうしたものじゃ。さ、ぐっと勢いよく飲んで、それから向こうへ行っておやすみ。もう、夜もだいぶおそいでな」
「ほんに、今日はいろいろくたびれたであろ、さあさあ、その茶をぐっと飲み干して、なにもかも忘れて寝るのじゃ。寝るほど楽はなかりけりじゃわな」
私は進退きわまった感じであった。口にふくんだ苦い茶を、いまさら吐き出すわけにはいかなかった。いやいや、吐き出したとてなんとしよう。その一部分は、すでにのどをとおってしまったではないか。
毒食らわば皿まで……ええ、もう、どうにでもなれ、一種、捨て鉢な勇気が私を駆って、あやしい茶を、ぐっとひと息に飲み干させた。なんとも名状することのできぬ恐怖と戦慄と絶望に、わなわな体をふるわせながら。……
「ああ、飲んだ、飲んだ」
「ほ、ほ、ほ、よい子えなあ」
小梅様と小竹様は、顔見合わせてニッタリ笑うと、子どものように首をちぢめてよろこんでいる。私はまた、背筋をつらぬいて走る戦慄を感じ、じっと、自分の体のなかを、透視するようにうつむいていた。
いまに腹のなかが、キリキリいたんでくるのではあるまいか。いまに生ぬるい血が、胸もとにこみあげてくるのではあるまいか。……私の全身は、粘っこい汗でヌラヌラぬれた。
「ああ、もうよい。辰弥や、もうさがってもよいぞえ」
「そうそう、小梅さんのいうとおり、離れへ行っておやすみ。ぐっすり眠るのじゃえ」
「はあ……」
畳に手をついてお辞儀をすると、私はフラフラ立ち上がった。なにかしら、あたりがぐるぐる回って、眼がくらむような感じであった。廊下へ出ると、姉の春代が心配そうに待っていた。
「辰弥さん、伯母さまがたの御用というのはなんでしたの」
「いいえ、なんでもありません。お茶を一服よばれてきました」
「お茶を……?」
姉は不審そうに眉をひそめたが、そこではじめて、私の顔色に気がついたのか、
「まあ、辰弥さん、あなた、どうなすったのです。お顔の色が真っ青ですよ。それに、ひどい汗……」
「いいえ、なんでもありません、少しつかれているのです。今夜、ぐっすり眠ったら、また元気になりましょう。姉さんおやすみなさい」
すがりつこうとする姉の手をふりはらい、私はよろよろと離れへかえった。離れにはお島の手で、寝床が敷いてあった。私はまるで、悪酒に酔ったような、フラフラする気持ちで、寝間着に着かえ、電気を消すと、寝床のなかへ身を投げ出した。
幼いころ私は「八陣守護城はちじんしゅごのほんじょう」という芝居を見たことがある。毒酒と知りつつ、やむにやまれぬ仕儀から飲んだ、佐さ藤とう肥ひ田だの頭かみ正まさ清きよが、三年間天守閣に閉じこもり、刻々とちぢまっていく、生命の灯を見つめて暮らしているという芝居で、私はそのとき幼なごころにも、なんともいえぬ恐ろしさと、もの悲しさを感じたことをおぼえている。
その夜の私の気持ちがそれだった。私は全身の神経を集中して、自分の体内に起こるであろう異変を見つめていた。それはなんともいえぬ、救いのない、暗澹たる気持ちであった。私は暗くら闇やみのなかに眼を閉じ、さまざまなあやしい、血みどろな妄もう想そうを瞼のうらにえがいていた。
しかし、私の体内には、なんの異変も起こらなかった。いや、恐れていた肉体の痛みが起こるまえに、疲労した私の神経が、緊張にたえられなくなって、うとうとしはじめたのだ。
私はいつしかぐっすり眠っていた。したがって、それから間もなく、一種異様なものの気配に、ハッと眼をさましたのが、夜中の何時ごろであったか、私には全然わかっていない。