「あ、そうだ、典ちゃん、きみにきいたらわかるかもしれない。ちかごろ村で死んだひとで、三十から四十くらいまでの男のひとはなかったかい」
「まあ、どうしてなの。どうしてそんなことをお尋ねになるの」
典子は不思議そうに、眼をくるくるとさせていたが、
「ちかごろ、村で死んだひとといえば、お兄さまも御存じのはずだわ。そのなかで、三十から四十までの男のひとといえば、蓮光寺の和尚さまの洪禅さんと、おたくの久弥兄さんくらいのものだわ」
「うちの久弥兄さん!」
私は突然、つよい電撃をうけたようなショックをおぼえた。さっとある考えが頭脳にひらめいたからだ。
そうだ、そういえばあの死人の顔は、どこか兄の久弥に似ていやあしないか。眼と眼のあいだがつまって、額がせまくて、あごがとがっていて、どこか険悪な感じのするところが。
しかし、しかし……そんなことがありうるだろうか。兄の久弥はたしかに柩ひつぎにおさめられ、田治見家代々の墓地に埋められたではないか。もっとも後に、解剖のために掘り出されたが、解剖がすむと再び納棺され、埋葬されたのだ。その柩の上に、最初の土のひとかたまりを落としたのは、かくいう私自身ではないか。私はその柩が、すっかり土で埋めつくされるのをこの眼で見た。墓石はまだ立たないけれど、兄はたしかにあの土の下で眠っているはずなのだ。
とはいうものの、やっぱりあの死人は兄に似ている。田治見家の一族で、あの年ごろの人物が、ちかごろ死んだといううわさをきかぬところをみると、やはりあれは兄なのだろうか。だれかがあの墓穴から、兄の死し骸がいを掘り出してきて、あんなところへ飾ったのだろうか。しかし、それにしても変だ。兄が死んでからもう十日もたつのに、腐敗の徴候が見えぬというのはどういうわけか。
なんともいえぬ怪しい疑惑につつまれて、私はその場に立ちすくんでいたが、そのときだった。
「だれ……? そんなところにいるのは……?」
だしぬけにうしろから声をかけられ、私も典子もびっくりしてとびあがった。ふりかえると、向こうにだれか、提灯を持って立っている。
「だれ……? そこにいるのは……?」
提灯が一步前進する。典子はおびえたように私にしがみついた。
「だれ……? そこにいるのは……?」
相手はみたび声をかけて、たかだかと提灯をかかげた。この洞窟のなかで声をたてると、あちこちの壁に反響して、音響が妙にふやけてしまうのだが、私はそのときはじめて声の主に気がついた。
「ああ、そこにいるのは姉さんじゃありませんか。ぼくですよ。辰弥ですよ」
「まあ、辰弥さん? やっぱりそうだったの? でも、もうひとりのひとはどなた?」
「典子さんですよ。新家の典子さんですよ」
「まあ、典子さん?」
姉の春代はびっくりしたように声をうわずらせたが、すぐ急ぎ足でそばへちかよってきた。
「あら、ほんと、やっぱり典子さんでしたね」
姉の春代は怪しむように、私たちの顔を見くらべ、それからあたりを見回しながら、
「それにしてもあなたがた、こんなところで何をしているんです」
「姉さん、それについてはいずれあとでお話ししますが、姉さんこそ、こんなところへどうして来たのです」
「わたし……」
「姉さんはまえから、この洞窟のことを知っていたんですか」
「とんでもない。わたしはじめてだわ。こんなところへ来るの……」
と、姉はあたりを見回すとおびえたように肩をすくめて、
「でも、話には聞いてたことがあるの。ずっとむかし屋敷から、どっかへ抜ける道がついてたってこと、子どものときに聞かされたことがありましたわ。でも、もうずっとまえに埋めてしまったと、伯母さまがたはいっていたのに……」
「それじゃ、姉さんは今夜はじめて、この抜け道に気がついたのですか」
姉はかすかにうなずいた。
「姉さんはどこからどうして入ってきたんです」
私の詰問するような調子に、姉はいくらかためらったが、やがてきっとまともから、私の瞳ひとみをのぞきこむと、
「辰弥さん」
と、言葉を強めて、
「昨夜、あたしはあなたにお話があって、離れのほうへ行ったのですよ。そうしたら、あなたの姿がどこにも見えなかったでしょう。それでいて、戸締まりはちゃんとなかからしてあるので、わたし、狐きつねにつままれたような気持ちだったわ。ずいぶんながく、わたしは離れで待ってたんだけど、いつまで待ってもあなたがかえってこないものだから、あきらめて母屋のほうへかえってしまったのです。ところが、今朝になってみると、あなたはちゃんと離れにいるでしょう。わたし、いよいよ狐につままれたような気がしたけど、あなたが黙っているのでわたしもきくのをひかえていたんです。でも、あんまり心配だから、今夜も離れへ行ってみたのよ。するとまたあなたの姿が見えない。しかも、やっぱり戸締まりは、なかからちゃんとしてあります。それで、はじめて小さいときに聞いた抜け孔のことを思い出したんです。どこか、この離れに抜け孔があるにちがいない。……そう思ってさがしているうちに、納戸の長持のふたのあいだに、こんなものがはさまっているのに気がついたんですよ」