黄金三枚
春代のような心臓の弱い人間にとっては、その夜の恐ろしい発見は、あまりにも大きな打撃だった。その夜私たちは、典子にかたく口止めして、例のふたまたのところで別れると、あの長持の底をとおって、もとの離れへかえってきたが、明るいところで見る姉の顔色は、びっくりするほど悪かった。
「姉さん、しっかりしてください。ほんとに顔色が悪いですよ。ちょっと横におなりになったら……」
「ええ、ありがとう。心臓が悪いって意気地のないものね。でも、あんまりびっくりしたものだから……」
「しかし、姉さん、あれがお父さんだってほんとのことですか」
「辰弥さん、それについてはまちがいありません。わたしもずいぶん自分の眼を疑って、何度も何度も見直したのですから。……お父さんが山へ逃げ込んだのは、わたしの八つのときでした。でも、わたしはいまでも、ハッキリお父さんの顔を覚えているんですよ。こうして瞼まぶたを合わせると、ありありとその面影がうかぶくらい……」
姉の眼にはうっすら涙がうかんでいた。あのような恐ろしい事件をひきおこしたひとでも、姉にとってはやっぱり懐かしい父なのであろう。私はなんとなく身内のすくむのを覚えた。
「しかし、姉さん、不思議ではありませんか。お父さんが山へ逃げこんだのは、三十六歳のときだということですが、あの死人は、それからいくらも年をとっていないようじゃありませんか」
「そうねえ。お父さんはきっと、山へ逃げこんでから間もなく、あの抜け孔へまぎれこんで、そして、そこで死んだのでしょう。いままで行方がわからなかったのも無理はないわ」
「だけど、それからもう二十何年もたっているんですよ。そのあいだ、どうして腐りもせずに、昔の姿のままでいるのでしょう」
「さあ、それはわたしに、わかりません。わたしのような無学なものにはわかりません。でも、辰弥さん、世の中にはいろいろ不思議なことがあるじゃないの。木ミ乃イ伊ラだとかなんだとか……」
「そういえばそうですが、あれは木乃伊とは見えませんね。もっとも、ぼくも木乃伊というものを実際に見たことはありませんが」
「それよりも辰弥さん」
姉は急に膝ひざをすすめると、
「あなたはどうしてあの抜け孔を知ってるの。いつからあの抜け孔に気がついてたの」
そこで私が一昨夜のことを、かいつまんで話してきかせると、姉はのけぞるばかりに驚いた。
「まあ、それじゃ伯母さまがたが……」
「ええ、そうですよ。そのときの伯母さまがたの口ぶりでは、毎月命日にはお参りしているらしいのですよ」
「それじゃ、伯母さまがたは、ずっとまえから、あそこに父の死骸があることを、御存じだったのですね」
「そうらしいですよ。ひょっとするとあんなところへ鎧をきせて、おまつりしたのも伯母さまがたじゃないでしょうか」
姉の顔色がいよいよ悪くなった。姉は襟えりにあごを埋めて、しばらく黙って考えていたが、何か思いあたるところがあるのか、急にはっとはじかれたように顔をあげた。見るとその顔は無残にゆがんで、とがった眼つきにはただならぬ色がうかんでいる。
「姉さん、ど、どうしたんですか。何か思いあたることがあるのですか」
「辰弥さん、怖い、あたし、怖いわ。……でも、やっぱりそうだわ。きっとそれにちがいないわ」
「姉さん、どうしたんです。何がそうなんです」
「辰弥さん」
姉の春代はうわずった声で、
「わたし、ずいぶん長い間、このことで心をいためてきたんですよ。ことにちかごろ……ほら、いろんなひとが死ぬでしょう、恐ろしい毒で……それ以来、いっそう、そのときのことが思い出されてならないのだけれど……」
姉はそこではげしく肩をふるわせると、
「辰弥さん、これはあなただからお話しするのよ、けっしてだれにもしゃべらないでね」
姉はそう前置きをしておいて、さてつぎのような話をはじめたのである。
それはいまから二十六年まえ、すなわちあの恐ろしい出来事があってから間もなくのことであった。当時八つだった春代は、母の殺されるところを目撃して以来、ひどい恐怖症にとりつかれていた。彼女は毎晚真夜中になるとものにおびえて、火のつくように泣き出した。大伯母の小梅様と小竹様がそれを不ふ愍びんがって、毎夜彼女を抱いて寝ることになった。
「ええ、わたしは伯母さまがたのあいだに入って寝ていたんです。ところが、どうかするとその伯母さまがたが、真夜中になると、どこかへ見えなくなることがあるんです。一度など、それでわたしが大騒ぎをして、泣きわめきながら、家じゅうをさがしまわったことがあるのです。それからというものは、ふたりいっしょに見えなくなることはありませんでしたが、それでもかわるがわる、毎晚きっと、どちらかがいなくなるのです。それでわたしが残っているほうの伯母に尋ねると、なに、御不浄へ行ったのだからすぐ帰る、と、いつもきまって同じような返事でした。なにぶんにも子どものことですから、別にふかく問いもせず、そのまま寝てしまうのが常でしたが、そのうちにあるときわたしは、ふたりの伯母の恐ろしい話を聞いたのです」