「ううん、いや、なんでもないんだよ」
私は強しいて心を取り直すと、
「曲者はね、典ちゃん、あの鎧武者のうしろに隠れていたのだよ。そこへ、小梅様と小竹様が、何も知らずにやってきたのだ。そして、あの鎧武者にお参りをしているところへ、いきなり上から躍りかかって、小梅様をかかえて、洞窟の奥に逃げこんだのだよ」
「まあ!」
典子は大きく眼を見はって、
「ま、それじゃさっきの叫び声は、小梅伯母さまでしたの」
「そうなんだよ、そして、さっき典ちゃんが、すれちがったのは小竹伯母さんだったんだ」
「まあ」
典子はいよいよ驚いて、
「でも、伯母さまがたは、どうして、こんなところへ来られたんですの」
「いや、それにはいろいろ事情があるんだが……」
「そしてまた、小梅伯母さまをひっさらっていった曲者というのはだれなんですの、小梅伯母さまを洞窟の奥にひっぱりこんで、いったい、どうしようというんですの」
ああ、そのことなんだ。私はそれを恐れていたのだ。
八つ墓村にはいま、わけのわからぬ気ちがいじみた計画が、何なん人びとかによって推し進められている。そいつは村でふたつならんだ人物の片っ方を、かたっぱしから殺そうとしているのだ。そして、小梅様と小竹様こそは村じゅうでも、もっとも典型的な二幅ふく対ついではないか、いやいや、現に犯人が、こんな気ちがいじみた計画を思いついたのも、もとはといえば、双ふた児ご杉の一本が、雷に打たれて裂かれたところより起こったのではないか。その双児杉の名をそのままにうけついだ双児の小梅様と小竹様のどちらかが、早晚、犠牲者のひとりに選ばれるということは、予測される事実ではなかったのか。
私は体じゅうに鳥とり肌はだの立つ寒さを覚えた。あの猿のようにちんまりとした、抵抗力のない老婆が、凶手にたおれるところを想像すると、何かしら無残絵でも見るような陰惨な気持ちにうたれずにはいられなかった。相手が何者にしろ、あのような老婆を殺すことは、ボロぞうきんをひきちぎるより容易なことであるだろう。
「お兄さま、行きましょう。あれが本家の伯母さまだとしたら、このまま捨ててはおけないわ。ねえ、そのへんまで探しにいってみましょう」
女というものは、いざとなると、だれでもこんなに勇気があるものだろうか。典子は私よりよっぽど勇敢だった。典子にうながされて、私もやっと決心がついた。
「うん、よし、それじゃ探しにいこう」
そうはいったものの、すぐ、私たちははたと当惑してしまったのだ。
それというのが、この地下広場には、さっき私たちが通ってきた道のほかに、三つの道が奥へ向かってひらいているのだが、そのうちのどれをたどっていけばよいのか見当をつけかねたからである。私たちは注意ぶかく、地面を調べてみたけれど、小梅様をひきずった跡は、もうそのへんでは消えていた。おそらく曲者は小梅様を、背負うか抱くかして、奥の洞窟へ逃げこんだのだろう。小梅様はあんなに年老いて小さくしなびているのだから、それはなんの造ぞう作さもないことであったろう。
「困ったわね」
「困ったね」
「どれでもよいから、でたらめに行ってみましょうか」
典子はいよいよ勇敢である。しかし、私はそれほどの向こう見ずにはなれなかった。
「そんなことはできないよ、洞窟の奥に何があるかわからないからね」
「そうねえ」
私たちは顔見合わせてためらっていたが、そのときだった。私たちの背後から、あわただしい足音をさせてだれかがちかづいてくる様子に、私も典子も、ギョッとしてふりかえった。
と、見れば、曲がり角の向こうから、提灯の灯がひとつ、ポッカリ現われたかと思うと、
「あ、そこにいるのは辰弥さんじゃない」
そういう声は、たしかに姉の春代だった。私はほっと胸をなでおろしながら、
「ああ、姉さん、あなた、どうしてここへ来たんです。大丈夫ですか、そんなことをして……」
「ええ、いいの。あたし気になったもんだから、……それにあなたにお渡ししたいものがあって……」
「なんですか、ぼくに渡したいものって……」
「これなの」
春代は足早にちかづいてきたが、そこではじめて典子の存在に気がついて、
「まあ!」
と、びっくりしたように眼を見はった。
「典子さん、あなたもごいっしょでしたの」
「ええ、偶然、ここで落ち合ったのですよ。それで、姉さんぼくに渡したいものって?」
典子のことを説明しようと思えば長くなる。めんどうだから私は、できるだけそのことに触れないようにして姉をうながすと、
「ええ、これ、ほら、いつかお話ししたでしょう。離れで拾った地図のようなもの。……あたし、さっき気がついたのだけど、この地図の中に、『猿の腰掛』という地名が書き込んであるでしょう。それで、ひょっとしたら、これこの地下道の地図じゃないかと思って、急いでとどけにきたんですよ」
はっと私は胸を躍らせた。まえにもいったように、私はこの地図を手に入れたくてウズウズしながらも、姉を欺くうしろめたさに、今日まで切り出す勇気が出なかったのだ。それをこんど計らずも、姉のほうから持ってきてくれたのだから、心中、飛び立つ思いであった。しかし、できるだけそういう様子は押しつつんで、
「ああ、そう。ありがとう。実は、小梅伯母さまはこの洞窟の奥へひきずりこまれたらしいのですが、どの道を行ってよいかと、いま迷っていたところなんです」
「ああ、そう、それなら真ん中の道にちがいないわ。だって、御覧なさい、ほかのふたつの道は、すぐその向こうで袋になっているんですもの」
提灯の灯で地図を調べてみると、なるほど、「猿の腰掛」のある地下広場から、奥へひらいている三つの道のうち、両端のふたつは中へ入ると間もなく袋になっているらしい。そして、真ん中の道だけが、羊の腸のようにくねくね曲がりながら、どこまでも奥へつづいているのである。
私はもっと詳しくこの地図を調べてみたかったのだけれど、いまはそんなことをしているひまはなかった。
「それじゃ、ひとつこの洞窟をさぐってみましょう。ありがとうございました。姉さん、あなたはおかえりなさい」
「ええ、でも……典子さんは?」
「典ちゃんはぼくといっしょに、行くといっているんです」
「典子さんが行くなら、わたしも行きます」
姉の語気の中に、なんとなくおだやかならぬものがあったので、私は思わず顔を見直した。姉の顔は妙に強こわ張ばっている。
「姉さん、だって、それじゃ小竹伯母さまは……?」
「伯母さまには眠り薬を差し上げておきました。よく眠っていらっしゃいますわ。とにかくわたしもいっしょに行きます」
おこったようにそういうと、姉はみずからさきに立って、どんどん洞窟の中へ入っていった。いつもの姉に似合わない、依え怙こ地じな今夜のそのそぶりに、私はびっくりして典子と顔を見合わせた。
ああ、姉はどうしてあんなに急に、おこったような顔色を見せたのであろうか。そしてまた、私たちは、この洞窟の奥に、いったい何を発見するのだろうか。