「なるほど、そうするとあの『猿の腰掛』が、この地下迷路の第一の目印だというんですね」
「そうですよ、きっと。そしてこの『天狗の鼻』が第二の目印の場所なのね。そして、きっとこのちかくに『木霊の辻』というところがあるのでしょう」
「でも、木霊の辻に耳傾けよというのはどういうことでしょう」
典子もそばから口を出した。
「さあ、よくわからないが、天狗の鼻に憩いなば、木霊の辻に耳傾けよとあるんですから、ここで耳をすましていれば、なにか聞こえるのかもしれませんね」
私がそんなことをいっているときである。突然、姉の春代が手をあげて、
「しっ!」
と私たちを制した。
「ちょっと……あれ、なに? なんの音?」
私たち、私と典子は姉の顔色に、ドキッとして息をのんだ。
「姉さん。何か聞こえますか」
「ええ、なんだか変な声が聞こえたような気がするのだけど……あっ!」
姉はあわてて口をおさえたが、そのとたん、私もハッキリ聞いたのだ。
ヒーッというような悲鳴が一声高く、洞窟のはるか奥から、聞こえてきたかと思うと、ある間隔をたもってその悲鳴が、幾度にも幾度にもダブって、ふるえながら、こちらのほうに響いてくるのだ。そして、それにつづいてドタバタというあわただしい足音が、洞窟の奥から聞こえてくるのだが、それはまるで、幾百幾千という大軍が攻め寄せてくるように、おどろおどろととどろきわたった。
「あっ、だれか来る!」
「姉さん。典ちゃん、提灯をお消し」
私たちはいっせいに、提灯の灯を吹き消して、闇の洞窟にうずくまった。
あのおどろおどろの足音は、すぐやんだけれど、それでも、だれかが洞窟の奥から、しだいにこちらへ近づいてくるらしいことは、おりおりつまずくような足音が、何度にも何度にも、ダブッて聞こえてくるところからでもわかるのである。
ああ、わかった、わかった。さっきの悲鳴も足音も、けっして多人数によって発しられたものではないのだ。
木霊の辻──という名でもわかるとおり、この奥には、音の反響のすばらしい複雑な地下迷路が横たわっているのであろう。そこでは一度音を立てると、あちらの壁、こちらの岩へと反響して、それが何倍、何十倍と拡大されて、遠くのほうまで聞こえてくるにちがいない。
したがって、いまこちらへ近づいてくる人間も、けっしてそれほどたくさんではなく、おそらくひとりではあるまいか。もし、ふたり以上ならば、たまには話し声も聞こえてこなければならぬはずである。
ガタ!
また、だれかがつまずいたらしい。すると、それにつづいて、
ガタ!
ガタ!
ガタ!
ガタ!
ガタ!
と、同じような音が、しだいに間遠に、不明瞭ふめいりょうになりながら、しめった空気の中をふるえてくる。
「木こ霊だまね」
典子もようやくそのことに気がついた。
「うん、木霊だ」
「しっ、だまって! だいぶこっちへ近づいてきましたよ」
もうその足音は、木霊の辻をぬけ出したらしい。不明瞭な反響はなくなったけれど、その代わり、ヒタヒタとしのびやかな足音がしだいにこちらへ近づいてくる。私たちが息を殺して待っていると、やがて、向こうの岩角から、ユラユラゆれる光の輪があらわれた。どうやら相手は懐中電燈を持っているらしい。私たちは思わず壁のくぼみに背をすりよせた。
懐中電燈の光の輪はユラユラゆれつつ、しだいにこっちへやってくる。二十步──十五步──十步──五步──ああ、とうとう、その男が私たちのまえまでやってきた。
幸い私たちのいるところは、壁のくぼみになっているので、相手は気がつかなかったけれど、そいつが眼のまえを通りすぎるとき、私たちはハッキリその姿を認めたのだ。
それは鼠ねずみ色の衣をまとうた、麻呂尾寺の英泉さんであった。