警部はそこで必要な手配り、ならびに英泉さんの拘こう引いんを部下に命じておいて、駐在所を出発、東屋の離れへ向かうことになった。むろん金田一耕助もいっしょだったが、美也子もわれわれについてきた。
みちみち美也子は私の手を握りしめ、
「辰弥さん、何も心配なさることはないのよ。だれがなんといったって、あたしはあなたを信用してるわ。警察のひとたちや、村の連中がどんなことをいったって、けっして気になさらないでね」
「ええ、ありがとう。ぼくもその気でいるんですが……」
「そう、気を大きく持っていらっしゃいね。ときに春代さんがまたお悪いんですって?」
「ええ、昨夜のショックですっかりまいっています。ここで警部からやたらに取り調べをうけたら、どんなことになるかと思うと、ぼくはそれが心配で……」
「いいわ。あたしが警部さんにいって、取り調べはできるだけ先にのばしてもらうことにするわ。ほんとに春代さまもお気の毒に……そうでなくとも心臓がお弱いんですものね」
このとき私は美也子を得たことによって、どれだけ心丈夫であったかわからないのだ。ただ一人頼みとする春代があの調子で全然相談相手にならぬのみならず、かえって手のかかる現在、美也子のようにテキパキとした、才長たけた味方がそばにいてくれることを、私はどのように感謝したかわからなかった。
「なにぶんよろしくお願いします」
やがて私たちの一行は、東屋の田治見家へ着いた。奉公人たちも、うすうす小梅様の失しっ踪そうに気がついているらしく、よりより集まって、不安そうに協議をしているところだったが、そこへ、どやどやと警部の一行が乗り込んだものだから、みな眼を見はって顔を見合わせていた。
幸い、警部は姉の取り調べはあとまわしにして、すぐ洞窟へ入るといい出した。そこで私は、あとのことは、万事美也子にまかせておいて、磯川警部と金田一耕助、それに刑事のふたりを奥の離れへ案内した。そして、私たちはすぐに、あの長持の底から、地下の洞窟へ入りこんだのである。
金田一耕助はこの長持の仕掛けや、また地下の抜け孔をいかにも物珍しげにながめていたが、別にそれについて、批評がましい言葉は出さなかった。私は警部から借りた懐中電燈をたずさえて、一行のいちばん先頭に立った。警部をはじめ三人のひとびとは、黙々として私のあとからついてくる。
私たちは間もなく、岩のくぐりを抜けて、最初のふたまたのところまでやってきた。私が無言でそのふたまたを「猿の腰掛」のほうへ行こうとすると、警部は私を呼びとめて、
「この道を、あっちへ行くとどうなるのかね」
この質問こそ、私にとっていちばん痛いところなのだが、もうこうなっては、かくしていることもできなかった。
「はあ、こっちへ行くと濃茶へ出ます」
「なに、濃茶?」
警部はギョロリと眼を光らせて、
「きみはこの道を行ったことがあるのか」
「はあ、一度だけ……」
「いつ?」
「妙蓮さんが殺された晚……」
「辰弥君!」
警部が声をいからせて、何かいおうとしたときだった。
「まあまあ、警部さん、そのことはいずれあとできくとして、ここはともかく一刻も早く奥を探検してみようじゃありませんか」
そこでまた私たちは、黙々として洞窟の奥へすすんでいった。
やがて「猿の腰掛」へやってくると、私は懐中電燈で屍蝋を示し、簡単に事情を説明した。警部をはじめ金田一耕助や二人の刑事も、この屍蝋ならびに私の奇怪な物語には、いたく心を動かしたらしい模様だったが、これまた耕助の発案で、万事はあとで調べることにして、一刻も早く、洞窟の奥を探ろうということになった。
私たちは間もなく「天狗の鼻」へさしかかった。私はそこでも簡単に、もう一度昨夜の話をくりかえすと、やがてそこを離れていよいよ「木霊の辻」へ足を入れることになったのだ。
「天狗の鼻」までは私もやってきたことがある。しかし、それからさきは全然未知の世界だったので、私は足元に気をつけながら、一步一步慎重に足を運んだ。しかしすぐに私たちは、いま自分たちの步いているのが「木霊の辻」であろうことに気がついた。それというのが私たちの足音、咳せき払ばらい、ちょっとした物音でも、すばらしい反響をともなって、しばらく鳴りやまないからだ。ここで一声叫んでみたら、さぞやすばらしい効果をあげるだろうと思わざるをえなかった。ああ、そのとき私は何も知らなんだのだ。それから間もなく「木霊の辻」で、どのような劇的シーンが演じられねばならなかったかということを。